烏伝(からすづたえ・うでん)神道

烏伝神道の烏伝は「からすづたえ」とも「うでん」とも読みます。

近世末期、江戸を中心に行われた大衆的な神道説の一種で、

京都上賀茂神社の社人・梅辻家の出身である賀茂規清(かもののりきよ/1798~1861年)が、賀茂氏の祖先である建角身命(たけづぬみのみこと)の祖神・八咫烏(やたがらす)から伝わった神道だとして、自らこの名称を付けたものである。

 

 

 

賀茂社の氏人たちは近世の初期から吉田家の宗源神道を伝授されていた。

賀茂規清は、梅辻飛騨ともいい、瑞烏園(ずいうえん)と号し、天文・暦数にも長じ儒学にも造詣が深かった。

また諸地方を渡り歩いて禅学の修養に励んだ。

精神的に国防意識を高め、思想的に社会生活を導き、また日本古典を性と経済との観点から神道と日常生活の関係を平易かつ通俗的に説き、もっぱら静坐の修行を勧めた。

 

江戸下谷・池之端の瑞烏園をその神道の本社とし、

他に支社も設けて民衆教化の活動を行っていたが、

あまりに独創性の高い布教・著述に従事したために、

幕末の政情不安な社会において危険性があるとして、八丈島に追放された。

 

そこでの生活は14年に及び、赦免されたが時すでに遅く、

文久元年(1861年)64歳で既に没したあとであった。

 

…という事で、私が思うに賀茂氏の祖神・八咫烏が伝えた神道ということでしたが、結果的にその子孫が島流しになってしまって救済も間に合わなかったのを考えると、なんか、どっかで普通のカラス霊みたいなもんだったのに間違えて祖神・八咫烏と思い込んでいたとか、勢い余って政情批判して墓穴を掘ったような感じがしました。