人間は生成と遊離魂
神道では、人間の霊魂には、むすひの生成魂(生命魂)のような存在と、
肉体から遊離する(離遊・出離)遊離魂のような存在があると考えられている。
そして神霊が人間を援助し守護すると信仰されてきた。
霊魂に関する必要事項
明治政府により編纂が始められた百科事典の一種で明治期の国学者たちの一大事業であった『古事類苑』の「生命」の項には、以下のように霊魂に関する必要事項が挙げられている。
「生命」は邦語で「いのち」と言い、
「霊魂」は「たま」又は「たましひ」と言う。
霊魂は不滅と信ぜられ、その人体に存在する間を「生」と言い、
その出離したる後を「死」と言う。
因(よ)って、また霊魂に生霊・死霊の別有り、(中略)
その人体を遊離せんことを恐れて、為に鎮魂、招魂等の法を修せしことあり(後略)
ここから考えなければならない事が2つ潜んでいて、
一つは「霊魂」は「たま」又は「たましひ」と同義としているのは何故か?
もう一つは霊魂は不滅と信ぜられた、その根拠は何か?ということである。
「たましひ」の語源
契沖は「玉奇日」(たまくしひ)説を唱えた。
谷川士晴は「玉之火」(たましひ)説
折口信夫は「活用する力・働いている力」説
魂の痺れ
『万葉集』巻15では「多麻之比」(たましひ)の用例があり、
「しひ」は上代特殊かなづかいの甲類で、
「廃(し)ひ」痺(しび)れるの意味と関連付けられる。
「魂の麻痺(しびれ)」とは、いわゆる遊離魂のことである。
上代以来、体から運白(魂魄)が遊離すると病気になると信じられていた。
恋煩いもその一種である。
従ってその遊離魂を「魂の麻痺」ととらえ、「たましひ」と命名したと考えられる。
遊離魂の観念はアジアに広く分布している。
古代日本の鎮魂の方法は石上神宮鎮魂縁起にある十種の瑞宝をゆらゆらと振るい、唱えごとをするのが有名である。
タマキハル(魂極る)
一方、このような遊離魂に対して、人間の生命と同じ長さを持つと考えられた魂がある。
それはタマキハル(魂極る)という枕詞が「命」にかかる事から分かる。
賀茂真淵が『冠事考』で述べたように魂の極限を「生涯(いきのかぎり)」としたのである。
このことは「延喜式祝詞」で「魂」の字が「むすひ」と読まれることに表れている。
「たま」は生命を掌(つかさど)る。
そして産霊(むすび)こそが生命の原動力であるから「むすひ」は「たま」と同じことになる。
それで魂を「むすひ」と読むのである。
ここに先ほどの『古事類苑』の
『その人体に存在する間を「生」と言い、その出離したる後を「死」と言う。』
という記述の理由がある。
つまり、「生成魂」が尽きると死となり、「遊離魂」が出離するわけである。
※まだこの話には続きがあるのですが、長くなるので一旦ここで区切らせていただきます。関連記事もリンクさせておきますので、よければご覧ください。
【関連記事】
病気やケガ、死亡時、また、くしゃみをした時も、この遊離魂が出て行ってしまうと思われていたようです。
契沖(けいちゅう)は江戸時代の真言宗の僧侶。徳川光圀に『万葉集』の諸本の校訂を依頼され、注釈書『万葉代匠記』を著した。仏典の注釈作業を通じて経典から教義を実証していく方法を学んでいたので、これを応用して日本の古典研究を行い、国学の始まりにも大きな影響を与えた。
谷川士晴(たにがわ ことすが1709-1776)は、江戸時代の国学者 伊勢出身
折口信夫(おりぐち のぶお1887-1953)は、日本の民俗学者
賀茂真淵 (かものまぶち 1697-1769) 今の浜松市出身の江戸時代中期の国学者
《石上神宮の魂振りの呪法に関する記事》