古代日本において、高天原(たかまのはら)・葦原中国(あしはらなかつくに)・黄泉の国は宇宙構成の三要素をなしている。
江戸時代、他の外来の宗教を交えずに古事記・日本書紀などの古典を説明する復古神道が唱えられるようになり、国学者・平田篤胤(1776-1843)が霊魂や来世の信仰について力説した事から幕末の神道思想の重要な問題となった。
黄泉の国もどこでしょう?
さて、高天原はどこでしょう?に続き、黄泉の国もどこでしょう?について考察したいと思います。黄泉の国や、その入り口である黄泉平坂と言われている処がいくつかあります。
島根県松江市東出雲にある揖夜(いや)神社付近
島根県出雲市の猪目(いのめ)洞窟
島根県日南町の御墓山
とまあ、大体、出雲地方が多いのですが、幕末の国学者らの説では…
飯田武郷は『日本書紀通釈』巻五で、
ヨミは「忌(いみ)」で「忌避くる」の意で、ヨミの国は忌諱(いみの)国という鈴木重胤の説に従い、また同じく伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が伊弉冉尊(いざなみのみこと)を追ったのは、その葬送の地、木(紀)の隈野(熊野)地方であろうと述べている。
三重県熊野市 花窟(はなのいわや)神社
そして平田篤胤説では、黄泉の国は夜見の国で月のこと。
江戸時代にして日本の国土から宇宙に飛び出たこの発想!好きだ!
天と地の下方に生まれたので光を受けないため闇の中だとのこと。
他に黄泉平坂や伊弉諾尊が禊したのも徳島あたりだという説も投稿動画で見かけました。
それから私が一番『そうかもしれない』と思ったのは、
伊弉諾尊は妻を失った悲しみと絶望のあまり後追い自殺をして、気を失っている間に見た、夢の中での世界だったのではないか?という説。
これは現代日本人がYoutube 動画のコメント欄でコメントしていたものです。
科学が発達した新しい時代に合わせて記紀の解釈を考えるのも面白いです。
【追記】
中国山地中部 広島県庄野市にある標高1264mの「比婆山」
島根県や鳥取県との県境にも近い。
山頂には御陵と呼ばれる苔むした大岩があり、伊邪那美神の陵墓と伝わる。
黄泉の国ゆかりの地として追記しました。