かくりよ(幽世・幽冥)
神や霊魂の所在に関する他界観の一つ「かくりよ」(幽世・幽冥)は、「冥府」「冥界」とも言い、他界を意味する語の中では最も広い意味を有し、
「うつしよ」(顕世・現世・現実世界)に対する思想で、
人間の目に見えない「かくりみ」(隠身)など霊的なものの属する世界として、神々が常住する世界であり、
「うつしみ」(現身)の人間が死後に霊魂として止まり住む神秘の境域でもある。
古事記では
関連して古事記では、「かくりみ」(隠身)の語が見られ、幽世の事を「やそくまで」(八十くま手)とも表現されている。※「くま」の字は土へんに同
古事記には、
現世の政治活動たる「あらわにこと」(顕露事)に対して「かくりごと」(幽事)と表現している。
…と、この点については国譲り神話の決着で書かれていましたね。
日本書紀では
日本書紀では「かくりごと」(幽事)・「かくりのみや」(幽宮)などの幽世に関連する語があり、
幽世の事を「やそくま」(八十隈)とも表現されている。
また日本書紀には「あらはにこと」(顕露事)と「かみごと」(神事)の用例があり、
室町時代の一条兼良は、
「あらはにこと」(顕露事)=「人道」
「かみごと」(神事)=「神道」
と、説いた。
近世の観念
かくりよを幽世として多く使用するようになるのは、近世からと見られる。
江戸時代の国学者・本居宣長は、
幽冥という観念から、これを「予美国」と同一視して
平田篤胤は予美国を「夜見の国」すなわち「月の世界」として幽世と区別した。
幽冥観の大まかな過程
【平安時代から鎌倉時代、室町時代にかけて】
死後の幽魂や妖怪邪鬼などといった考え方が複雑にもなったが、他界に関する観念は文献上は多くは見えない。
仏教が説く極楽浄土、地獄や魔界といった観念が一般の思想を覆っていくと共に、日本古来の民俗的信仰とも言うべき神話の高天原や黄泉の国などの観念は薄らいでいった。
【室町時代後期】
吉田神道では「顕露教」に対する「隠幽教」の思想を確立させ、その世界を幽玄・悠遠の世界とした。
これは他界信仰の復古ともいえる動きである。
【江戸時代中期】
神職者たちの神道葬儀の推進運動とも相まって促進されていく。
【江戸時代後半期】
国学者・本居宣長、平田篤胤により幽冥観はさらに強く打ち出されていった。
【明治維新前後】
幽世の信仰は幽事の観念から幽政の思想に進んだ。
天つ神・国つ神の霊威を全国各地の産土神(氏神)の神徳に結び付け、人間の現実的生活における諸事象にも関連させた。
神道を生死にかかわる信仰として位置づけるに至った。
それは神葬祭の理論的裏付けともなった。