神道古典における他界観 | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

 

神道古典における他界観

「他界」という単語は、平安時代後期の書物

『続遍照発揮性霊集補闕鈔』(ぞくへんじょうほっきしょうりょうしゅうほけつしょう)や

鎌倉時代の『明月記』『沙石集』(しゃせきしゅう)などに用例が見られる。

 

と『神社のいろは 要語集 宗教編』に書かれていますが、皆さんは「他界」という言葉が世に現れたのが、

約千年も前の昔と聞いて、ずいぶん古い時代からあったんだなぁと思われたでしょうか?

私も最初はそう思いましたが、考えてみれば「他界」という単語が無かっただけで、伊邪那岐神が伊邪那美神を追って、黄泉国に行く神話が伝承されていたのは記紀成立前からですから、「他界」の単語は無くても概念はそれ以上昔からあったものと考え直しました。

また2020年には福島県川俣町にある縄文時代後期(約3500年前)の前田遺跡から、屈葬の形で埋葬された40体以上の人骨が発見されたりもしています。

ただ、縄文時代や旧石器時代の人類が死後の世界を想像していたのかどうかは分かりませんが。

 

他界の意味は、死んだこと、死後の世界、この世ではない世界を表していて、

神道における「他界」の意味も、ほぼ同じであるが、

神道古典における「他界観」は、それより広い概念をもっているのだそうです。

 

この事は私も前に黄泉の国の他、常世の国や高天原、幽世(かくりよ)、根の国などがあるとブログ記事に少し書いたかもしれませんが、今回、以下の7つの他界の諸相を知る事が出来ましたので、これから少しづつ分けて投稿していきたいと思います。

 

1,かくりよ(幽世・幽冥)

2,たかまのはら(高天原)

3,とこよ(常世・常夜)

4,よみ、よみのくに(黄泉・夜見・予美国)

5,ははのくに(女へんに比の国)

6,わた、わたつみ(海・海神)

7,根の国・底の国・根の堅州国

 

これらのうち、

5,ははのくには、古事記において須佐之男命が行きたいと望んだ、女へんに比と書いて母と読ませる字ですが変換できなくてすみません。

伊邪那美神の行った黄泉の国と同義だそうです。

 

7,の根の国、底の国、根の堅州国も黄泉の国と、ほぼ同義か近い意味と解されます。

 

6,は海の他界ですが「往来可能」という点は黄泉の国にもみられるとか。

 

とすると、5つくらいの他界観になりますね。