『霊の真柱』平田篤胤・著/子安宣邦・校注 岩波文庫他、日本神話関連書籍を読んでいて、これまでの菊理媛神が何を言って伊弉諾尊(いざなぎのみこと)に褒められたのか?という謎・疑問が解けました。
問題の『黄泉の国編』とでも申しましょうか、そのあらすじは…
日本神話で国生み・神生みをした
伊弉諾尊(いざなぎのみこと/父神)と
伊弉冉尊(いざなみのみこと/母神)
しかし伊弉冉尊(または伊邪那美神)は、
神生みの最後に火の神を産んで火傷をして死んでしまいました。
と、いう事でしたが、
江戸時代に平田篤胤からここを覆されていました。
「伊邪那美神は死んでない」と。
天と地と泉(黄泉)が完全に分かれていない時の移動だったからというような説で、のちに黄泉津大神になったとのことすが、詳しくは霊の真柱を読んでみて下さい。
で、話を進めると、
悲しんだ伊弉諾尊(または伊邪那岐神)は、
死者の住む暗く穢れた黄泉の国へと向かいました。
そこでまた諸説あって、
櫛に火を灯したとか、開けるなと言われていた扉を開けてしまったとか、その方法はいくつかありますが、
ともかく妻の姿を見たら、腐って変わり果てた姿だった!
止めて、見ないでって言ったのに見られてしまった伊弉冉尊は「よくも私に恥をかかせたな」と恨んで激怒したので、
伊弉諾尊が逃げ出して、それを黄泉醜女(よもつしこめ)らと追ってきました。
伊弉諾尊は何とか逃げ延びて黄泉平坂出入り口を千引岩(ちびきいわ)という千人の人の力でようやく引けるような大岩でふさいだのです。
その岩を間に置いて相対して立ち、
「ここより来るな!」と杖を投げ捨てました。
(ちなみにその杖の神の名を久那斗神(くなどのかみ)という)
そして離縁を言い渡したところ、
伊邪那美神が、
「1日に1000人を殺す」と宣言し、(死の象徴)
それに対して伊邪那岐神は
「それならこちらは1日1500人を誕生させる」(生の象徴)と応じました。
そして、この時現れたのが、菊理媛神と泉守道者(よもつもりみちびと)『霊の真柱』では黄泉道守者(よもつちもりのかみ)という名になっていますが、その二神です。
これまで私が聞いていた話の順番だと、
まず伊邪那美神からの伝言を、黄泉国の道の番人である泉守道者が伊邪那岐神に伝え、
その後でさらに菊理媛神も伊邪那岐神に何か言ったら、褒められて、その場を立ち去った。
という流れでした。
それで『菊理媛神は何を言って褒められたの?』と疑問だったのです。
しかし、江戸時代に書かれた『霊の真柱』では、
菊理媛神と黄泉道守者(よもつちもりのかみ)は、連携して伊邪那美神の言葉を伊邪那岐神に伝えてただけでした。
それに伊邪那岐神も伊邪那美神も、1000人だの1500人だの罵り合っているようですが、
実はその言葉の頭にお互い「愛(うつく)しき」と言っているんですよね。
伊邪那美神(妻)は「愛(うつく)しき吾が汝兄(なせ)命」
伊邪那岐神(夫)は「愛しき我が汝妹(なにもの)命」
ですから、お互い愛しているけど、住む世界が違ってしまう他界という別離の運命と、生と死、それぞれの神として司る役目を受け入れますって事だと理解しました。
伊邪那岐神(夫)は、黄泉の国に来たことを後悔して、
「はじめ、汝を悲しみ思いて、その国に往(い)でまししは、吾(あれ)つたなかりしなり」と、
つまり、「あなたの死を悲しんで黄泉の国まで行ってしまったのは自分が弱かったからだ」と吐露した訳です。
それを聞いた伊邪那美神は、菊理媛神と黄泉道守者に伝言を頼んで
「私は既に沢山の国と神を産みました。何故これ以上を望むのでしょう。一緒には帰れません。」と申し上げました。
それを聞いた伊邪那岐神は褒め賜いてのち、そこを去ったとありますから、そこは菊理媛神じゃなくて、伊邪那美神に対して褒めたんですね。
そして、
「故(かれ)、其(その)伊邪那美命を
黄泉津大神(よもつおおかみ)と謂(もう)す。」
と、ありました。
誰かがどこかで間違えていたか?
白山信仰している方々が伝承として我が祖神、氏神、産土神を中心にしたり活躍した話としたのかもしれません。
それは各氏族、各地でよくあることですからね。