伊邪那美命のお産と火の意味 | 心の鏡

心の鏡

このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

泉守道者の謎を追って、江戸時代の国学者である平田篤胤が著した『霊の真柱』子安宣邦・校注を読んでいたところ、

「伊邪那美命(イザナミノミコト)が国生み・神生みで最後に火の神である火産霊神(ほむすびのかみ)を産んだら、ほと(陰部)を焼かれて亡くなったという神話の場面がありますが、「ほと」あるいは「ほど」の漢字が「火処」って書いてありまして、その解釈で

「女の経水(さわり/つまり月経のことを言っていると思われる。いや水があるから経血のことなのだろうか?)となるを、火になるといい、月水(つきのさわり)の経(めぐ)り来ぬを、火の止まると言うも、このいわれによることなるべし」ってあって、

昔は…江戸時代末期頃は「月経」「経血」の事を「火」と隠喩していた事が分かりました。そしてそれは日本神話に繋がっていたという驚き!

 

出産後、出血・悪露が止まらなかったとかで亡くなられてしまった方も少なくなかったことでしょう…。

伊邪那美命もそんな感じだったのかなぁと想像しました。