山岳信仰と修験道 | 心の鏡

心の鏡

このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

 

山岳信仰と修験道

 

日本では古(いにしえ)から山は神々が宿る神聖な所であり、祖霊が依り来る「山中他界(さんちゅうたかい)」の場所であると考えられ、みだりに入らないのが一般的でした。

 

しかし仏教伝来によって、山中を修行の場として集まる修行者が次第に増え、さらに密教の諸派が山に寺を構えるようになり、山中での修行者が今まで以上に増えてくるようになりました。

 

奈良時代にはまだ密教は断片的にしか伝わっていませんでしたが、平安時代には、それに加えて日本の山岳信仰と陰陽道を基盤とした呪術的な原始修験者を生み出していきました。

 

そうした背景から山岳信仰にも神祇信仰と仏教信仰の両面性が見られ、神仏習合が早い段階から始まっていたと言われています。

 

 

その草創期の人物

役小角(えんのおづぬ):葛城山(奈良県)を開いた

泰澄(たいちょう):白山(石川県)

当ブログでも菊理媛神のセリフが謎だという記事が今でもよくアクセスされていますが、その菊理媛神はこの白山信仰、白山神社の御祭神です。

この他、満願:箱根山   勝道:日光山 など。

 

初期には個人的活動であったと思われる修行者=山伏たちは、次第に集団化、組織化し、

平安時代末期には各地の霊山と呼ばれる山々が修験道場となって行きました。

吉野金峰山、熊野三山、出羽三山、戸隠山など。

 

 

修験道とは

山岳修行を通じて超自然的能力を身に着け、その力で神仏のご加護を得て民衆の救済活動を行う信仰・活動のこと。

 

なんか少年漫画でよく見るパターンですよね。

 

当時は人々が知らず知らずのうちに犯してしまった罪穢れが蓄積されると厄災を招くと考えていました。

その罪穢れを引き受けて禊や厳しい修行の中で浄化することにより、社会が厄災から免れると考えられていたから、山伏・修験道が受け入れられていったのだそうです。

 

後に修験道は、

吉野・熊野を拠点とする天台宗系の本山派、真言宗系の当山派、

出羽三山に拠点を置く羽黒派

九州北部の英彦山(ひこさん)に拠点を置く英彦山派

など各派が成立していきます。

 

また寺院を離れて修行のために各地を歩いたり、山奥や人里離れた所に隠棲する人々も現れ、彼らを聖(ひじり)といい、聖は寺院さえも世俗ととらえ、そこから離れる事で極楽往生を願ったのです。

浄土教の影響がみられますが、その信仰についてはまた今度。