まつりの語源 | 心の鏡

心の鏡

このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

 

まつりの語源

 

 今月10月17日に宮中や神宮で神嘗祭(かんなめ)が行われるということもあって、

これから何回かに分けて神社のお祭りについて書いていこうと思います。

 

日本の神々は畏れ多いこともありますが、私が思うに他の宗教と比べて、

ご神徳・ご利益と言われるような神様からの恵みを得て開運をするのに、

こうしてお祭りをみんなで賑やかに囃子や踊りに神輿担ぎや、

節分祭なら豆まきだとか酉の市なら熊手を授与してもらったりとか、

お祭りの出店で飲み食いしたり人々が神社で楽しむことなのが良いところ。

信仰する宗教によっては、厳しい戒律があったり哲学的な教義の勉強や苦しい修行をしないと悟りが開けないとか崇拝対象からの功徳・恵みが得られないと聞きますから。

もっと酷い団体だと宗教の皮を被ってマインドコントロールと霊感商法、信者に適当な結婚相手をあてがって私腹を肥やしていた詐欺集団で、

教祖は外国人で実は抗日思想で日本人を悪魔と見ていて搾取してきたという事もあります。

ですから今こそ日本人は日本古来の神道に目を向けるべきだと考えています。

 

 

 まつりの語源

まつりの語源は・・・

 

「まつらふ」「たてまつる(奉る)」

 神様の力に従い奉仕する。上位の存在である神に対していろいろな供物を捧げそれを下げて直会(共食・共飲)する

 

「待つ」

また「まつり」と言う言葉は「まつ」を含んでいます。

大昔、神様は遠い所から来られて山や岩、木に宿ると考えられていたので、

神の訪れを「待ち」、

神威に服することが「まつり」であるといわれているのだそうです。

 

いつの時代も人々は心を尽くしたお供え物(神饌)を捧げ祈り、

神様をおもてなしして日ごろの神恩に感謝してきました。

 

また人々は「まつり」に参加することで共に生きる人たちと喜びを分かち合ってきたのです。

『神社のいろは』監修・神社本庁 より