第38代・天智天皇紀/百済の滅亡 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

斉明天皇の崩御後、皇太子の中大兄皇子は即位せずに政務をとります。

このことを称制(しょうせい)と言います。

元年(西暦662年)

日本にいた百済の豊璋(ほうしょう)という人を帰国させて百済再興を図りますが、

翌年、渡海させた2万7千の日本軍は、白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅連合に敗れ、百済は完全に滅びました。

 

戦後、西海の防備を固め、6年には近江の大津宮に遷都し、

7年に天智天皇として即位します。

 

8年 藤原鎌足が死去

9年 戸籍(庚午年籍・こうごねんじゃく)を作成

10年 長子・大友皇子(おおとものみこ)を太政大臣に任命します

 

危篤となった天皇は、弟の大海人皇子(おおあまのみこ)に後事を託しますが、皇子は出家して吉野に向かいます。