第17代履中天皇紀 | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

さて、ごぶさたしていました歴代天皇紀。

仁徳天皇の次の代のお話です。

【去来穂別(いざほわけの)天皇・履中天皇紀】

天皇の即位前に婚約者であった黒媛(くろひめ)が、

なんと!天皇の同母弟・住吉仲皇子(すみのえなかつみこ)に犯されてしまい、

発覚を恐れた住吉仲皇子は謀反を企てて誅殺されます。

 

その後、即位した天皇は、磐余(いわれ)の稚桜宮(わかさくやのみや)=今の奈良県桜井市に都を置きます。

その名の由来は天皇が磐余池に船を浮かべて遊宴した時、天皇の盃に季節外れの桜が散ってきたので桜を探させたところワキの上(かみ)の室山(むろやま)で見つかったことによります。

 

また、初めて諸国に国史(ふみひと)と言って国内の情勢を報告する書記官を置き、蔵職(くらのつかさ)を設けて蔵部(くらひとべ)を定めました。

 

天皇即位5年には淡路島で狩りをしたら、

伊弉諾神から

「血なまぐさくて耐えられない」と、ご神託があった。

これは随行員の飼部(うまかいべ)の人が、

眼のふちに入れ墨をしてすぐだった為で、

これ以降、飼部の入れ墨を止めさせたことが記録されているそうです。

 

以上、履中天皇紀でした。

 

現代の会社でも営業部、総務部、など「部」「部門」って担当職を分けていますが、

かなり古くから「べ」と呼ばれて使われていたんですね。

 

それと伊弉諾尊のご神託が、まだその時代は受け取れる人がいたことや、

それによって行った事が公式に記録に残っている。

現代で天皇か皇族・天皇の側近などが「神様からのご神託がありました」って事で、国の制度や習わしを変えることはあり得ませんが、それが昔は現実にあった!

 

あと現代人で入れ墨した事無い私には、眼のふちに入れ墨って痛そうでした滝汗

神様が血なまぐさくて耐えられないってご神託を下すほどとは恐ろしい。

 

日本神話の場面を描いた現代の絵本やアニメ、日本画・洋画などでは、顔に入れ墨描いてない事がおおいけど、卑弥呼が出てくる魏志倭人伝でも「倭人は顔を赤く塗って入れ墨している」とか記録されているらしいし、今後はこの時代は眼のふちなどに入れ墨入れて描くのが正しいのかもしれないですね。