日本武尊【2】景行天皇の熊襲成敗 | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

日本書紀での日本武尊(やまとたけるのみこと)

 

 

こちらでは、日本武尊が東へ西へと派遣される前に、

その父である景行天皇(けいこうてんのう)が、子供が八十人もいて、

その中に双子の皇子、大碓(おおうす)と小碓(おうす)・・・のちの日本武尊がおり、

子供たちは成長すると各地に派遣されて人々の為に尽くしたことと、景行天皇の熊襲征伐が語られてます。

 

天皇が即位されて12年。

今の九州南部あたりに住む人々である熊襲(くまそ)が反抗してきました。

そこで景行天皇も熊襲猛(くまそたける)を成敗しようと出陣しました。

くまそたけるは熊襲梟師と原文にあるそうで、梟師(たける)とは勇猛な種族の長(おさ)を意味すると言われています。

 

偵察してきた家来から熊襲猛に娘がいるという情報を得た天皇は

「そうか、よし、その娘を手名付けてしまおう!」と策略し、沢山の贈り物を届けさせ、

熊襲の娘、市乾鹿文(いちふかや)と、その夜を共にします。

そして、いちふかやは父の弓の弦を切っておき、大量の酒を飲ませ、兵に命じて熊襲猛を斬り殺しました。

 

あっけなく作戦は成功したものの、天皇は「親不孝は許せん」と言って、いちふかやを成敗。

熊襲の国は平定されました。

 

天皇は日向(ひむか)の地で故郷をしのぶ、ほめる歌を詠みました。

これは古事記では倭建命(やまとたけるのみこと)が詠んだとされています。

愛しきよし

我が家の方ゆ 雲居立ち来も

倭は 国のまほろば たたなづく 

青垣 山籠れる 倭し麗し

命の全(まそ)けむ人は 畳こも

平郡(へぐり)の山の 白橿が枝を

髷華(うず)に挿せ 此の子

 

歌の大まかな意味は、「懐かしい我が家の方から雲が立ち上っている。大和は良い国で、青い山々に囲まれている。けなげな人々は平群の山の白橿の枝をかんざしにしなさい」です

 

景行天皇は、この後、筑紫の国(今の九州)を巡幸しました。 (つづく)

神社

と、いう事で、古事記では息子の小碓命を恐ろしく思っていたような景行天皇も、

こちらでは敵の娘を利用して裏切らせて倒した後、その娘も成敗するとは恐ろしや。

親不孝は許せんって、あんたがそそのかしたんじゃないのー?と思った私でした。