日本武尊
第12代景行天皇は数多くの妻を持ち生涯を通じて80人もの子をなしたと言われています。その中に双子の皇子がいました。
兄が大碓命(おおうすのみこと)、弟が小碓命(おうすのみこと)のちの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。
ここから先は日本書紀と古事記で描かれ方が違います。
日本書紀では、天皇の命令を忠実に遂行する国家的な英雄として、
古事記では、次々に遠征を命じられて自分は父君に疎まれているのだろうかと嘆く悲劇的英雄として伝えられています。
それぞれのあらすじを書くと、
《古事記》
ある時、大碓命は父君と共に食事をしなくなり、食事を共にとるのが礼儀だと言うのに、どうしたのか心配した景行天皇は、小碓命に「ねぎ諭してやってくれぬか」と頼みました。
快く引き受けた小碓命は兄の所へ行ってその訳を問うと、
兄は「この前、父君に頼まれて、美濃(今の岐阜あたり)に、美しいと評判のエヒメ・オトヒメ姉妹がいるので父の妃として迎えるために向かったところ、
美濃の国造(くにのみやつこ)オオネに出迎えられて、そのエヒメ・オトヒメ姉妹に一目ぼれしてしまい、我慢できなくてつい・・・。
それで父君には身代わりを探して召し上げたのだが、その二人とは一向に同衾する気配がない。きっと自分のしたことはバレているんだ、そう思うと怖くて顔向けできなくて・・・」と吐露しました。
その後、5日経ってもまだ大碓命は食事の席に現れなかったので、景行天皇は
「小碓命よ、お前に大碓命を連れてくるように頼んでからもう5日もたつが、まだねぎしておらぬのか」と尋ねると、
「いえ、私はすでにねぎしましたよ。明け方、兄上が厠に入っていくのをお見かけしたので、待ち構えて手足をもぎ取り藁の敷物にくるんで投げ捨てました!」
天皇が青ざめて「なっ、なんだと!」と驚くと、小碓命は平然と
「ええ、父君がねぎせよ(もいで)とおっしゃいましたので、その通りにしたまでですが?」と答えました。
天皇は「わしはそのような事は言っておらぬ!労(ねぎら)えと申したのだ!もうよい、下がれ!」と苛立ち追い払うと、小碓命は危険だと悩むのでした。
それから西へ東へ各地を平定して伊吹山で最期を迎え、
最後に御霊が白鳥になって河内の志紀でとどまったかと思うとすぐさま天高く飛び去りそこには陵墓が作られたという話です。