【橿原宮造営について】
あの天磐戸に天照大御神が閉じ籠ってしまい、神々が協力して、そこから誘い出した時に、祝詞を奏上した「天太玉命」あるいは太玉命、太刀玉命がいらっしゃいましたね。
神武天皇は、その太玉命の孫の「天富命(あめのとみのみこと)」に命じて、
手置帆負(たおきほおい)・彦狭知(ひこさしり)の二神の子孫を率いて、
神聖な斧・鋤(すき)で山から木を切りださせ、皇居を作らせました、とあります。
その由来から二神の子孫は紀伊の国・名草(なぐさの)郷(こおり)の御木(みき)、あら香(あらか)の地に住んでいます。
あらの字が変換できなくてすみませんでしたが、「あらか」とは、古い言葉で宮殿を言います。
古語拾遺編で、木を切り出す斎部が住むところは御木といい、
宮殿を作る斎部をあらかというのがその証拠とか。
※忌部・斎部は両方とも「いんべ」と読みます。
【祭祀具・祈祷について】
また、神武天皇は天富命に斎部配下の諸氏を率いて様々な神宝・・・鏡・玉・矛・盾・木綿・麻など祭祀具を作らせました。
櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)の子孫は、御祈玉(みほきたま)=祈祷という意味を作りました。
その子孫は今、(たぶん古語拾遺が成立した9世紀ごろ)出雲の国に住んでいます。出雲、今の島根県に玉造神社がありましたよね。
天日鷲命(あめのひわしのみこと)の子孫は木綿と布(古い言葉にあらたえといいます)を作りました。
また天富命に命じて日鷲命の子孫に肥沃な土地を探させ、阿波国に派遣してかじの木と麻を植えさせました。
それでその子孫は今(9世紀ごろ)もその国に住み大嘗祭の時に木綿・麻布他様々なものを献上します。
そのことから居住している郡(こおり)は「麻殖(おえ)」と呼ばれています。
(・・・これも現代で四国の徳島県の阿波踊りって有名だから、検索してみたところ、現代では徳島県吉野川市だそうです)
天富命はさらに肥沃な土地を求めて、東国の地に阿波忌部一族の一部を移住させ、麻・かじの木を植えました。
それらが良く育ちふさふさと生い茂りました。
古い言葉で麻を総(ふさ)と言い、そこの国の名を総国(ふさのくに)と名付けました。
今は上総・下総の二国に分かれています。
それから梶の木の名前から結城という郡(こおり)の名前を付けました。
阿波の忌部が居住した所を安房郡(あわのこおり)と名付けました。
今は安房国になっています。
天富命は、そこに太玉命を祀る神社を創建しました。今の安房神社です
(現代だと房総半島の南端・千葉県館山市大神宮が所在地)
安房神社のサイトで由緒を見ると、「かじ」の漢字は梶の木じゃなくて、「穀」で、紙などの原料なんだそうです。
紙の原料にもなるというと、現代風に言うと「こうぞ」だったのかしら?
というように、天岩戸事件で活躍された神々の子孫が、
天孫降臨でも同じく皇孫の手となり足となり、
さらに神武天皇の東征と祭祀でも同じような役割分担で繰り返されるわけです。
(つづく)