山幸彦と海幸彦 海宮遊幸章 第十段 本文《3》 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

彦火火出見尊は、時々大きなため息をつかれることがありました。

豊玉姫はそれを聞いて、父の海神に

「天孫が悲しんで、しばしばお嘆きになります。きっと故郷を懐かしんでのお悩みなのでしょう。」と話しました。

そこで海神は彦火火出見尊を招いて

「天孫がもし故郷に帰りたいとお思いでしたら、私が送って差し上げましょう。」と穏やかに申し上げ、探し出した釣り針をお授けして、

「この釣り針を兄神に渡される時、こっそりとこの釣り針に『貧ち(まじち)』と言ってからお渡しなさい。」と教え、

また潮満瓊(しおみちのたま)と潮涸瓊(しおひのたま)を授けて

「潮満瓊を水に浸すと潮がたちまち満ちるでしょう。これで兄神を溺れさせなさい。もし兄神が悔やんで救いを求めたら、潮涸瓊を水に浸せば、潮は自然と引くでしょうからこれでお救いなさい。このように責め悩ませれば兄神もあなたに従われるでしょう。」とも教えました。

 

そして帰られようとした時に豊玉姫は大きくなったおなかで天孫に

「私は妊娠していて、もうすぐ出産です。私は波風の速い日に浜辺に参りますので、どうか私の為に産屋を作ってお待ちになって下さい。」と申し上げました。

 

彦火火出見尊は、もとの宮に帰られ、海神の教えに従いました。

すると兄神は悩まされて自分の罪を認められ、

「今後は私はそなたの俳優(わざおき)の民になりましょう。どうか許してほしい。」と言われました。そこでその通りに許されました。

この火のすそりの命は、阿多隼人(あたはやと)の有力者、吾田君小橋(あたのきみおばし)等の先祖です。

 

その後、豊玉姫は約束通り波風に逆らって海辺にやってきました。妹の玉依姫(たまよりびめ)も連れて。

それから出産の時になると

「私が生む時は、どうかご覧にならないで下さい」と頼みましたが、天孫はそう言われるとかえって気になって我慢することが出来ず、こっそり訪れて覗いてしまいました。

すると、そこには豊玉姫が出産しようとして龍の姿になっていました。

豊玉姫はそれに気がつき、大いに恥じて

「もし私をお辱めにならなかったなら、海と陸とを通わせて永久に隔絶することは無かったでしょうに、こうなったからには、どうしてむつまじく心を通わせることが出来ましょうか」と申して、草で御子を包んで海辺に棄て、海への道を閉じてすぐに去ってしまいました。

 

そこでその御子の名を彦なぎさ武鵜草葺合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と申します。

その後、久しくして彦火火出見尊は、亡くなられ、日向の高屋山上陵に埋葬されました。

(本文おしまい)

 

【私のつぶやき】

まず、『またこのパターンか』と思ったうちの一つが、最初に3柱の兄弟神が誕生して、

いつの間にか話にはそのうち2柱の神の対立だけが描かれ、影薄くなる存在がいらして

『あれ?もう一人か二人・・・じゃなかった1柱か2柱はどこ行ったんだろう?』という、

天照大神と素戔嗚尊と月読尊のパターン。

 

もう一つ『見ないでね』って、妻が言っているのに見ちゃう夫。

伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)パターン

 

さらに出産後の育児放棄・捨て子はいかんだろーと思う。

 

それからまたもや御子の名前とか「まじち」の漢字の一部が変換できなくてすみません。

 

「まじち」の「ち」は金へんに句です。

そして「貧(まじ)ち」とは、「貧しくなぁ~れ」という呪いの言葉と言うか攻撃魔法呪文みたいなものらしく、それを兄神の釣り針にこっそりと言うとは。

どんだけこじらせた兄弟げんかでしょう。

やっぱりその父母からして不倫疑惑で産屋放火事件により亀裂が入っていたからでしょうか?

最初は私は「まじち」って、音の響きから「魔術」の語源かなぁ?と思ったら、「貧しい」の意味でした。