これまで記してきた日本書紀の「国譲りと天孫降臨」の話とは別の、
古事記での展開では、鹿島神宮のご祭神である建御雷神(たけみかづちのかみ)が天孫に先立ち豊葦原瑞穂の国を平定しに天下って、
出雲の大国主神に国譲りを迫ったところ、息子たちに判断を委ねた。で、一人目の息子・八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)は意外と素直に譲ったのですが、
もう一人の子・建御名方神(たけみなかたのかみ)が、
大石を手に現れ「力比べ」を提案したり、抵抗した。
それで建御雷神は、手を氷柱でできた剣の刃にして応戦、
建御名方神は恐れをなして退いたが、信濃の国の諏訪の湖まで追いつめられて、とうとう観念して命乞いをし、
「この土地より他の所には行かない」と表明して国譲りを承諾。
そこが諏訪大社となったとありました。
また、大国主神は国を譲る代わりに立派な宮殿を建ててもらった、これが今の出雲大社。
あとは瓊瓊杵尊に随行した思金神に対して天照大御神から
「おまえは神の朝廷(みかど)の政事(まつりごと)をしっかりと行いなさい」と命じていますね。
そして手力男神は、佐那那県(さなながた)伊勢の国多気郡の佐那神社に鎮座とか。
手力男神、戸隠神社が本拠地じゃないんだ・・・。
さらに猿田彦神の最後が何とも・・・。
魚をとっていて貝に手を挟まれ海に沈み溺れてしまったという。
ちょっと納得できなーい