高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は、真床覆衾を、
天津彦国光彦火瓊瓊杵尊(あまつひこくにてるひこほのににぎのみこと)に着せられ、
天磐戸を引き開け、天八重雲(あめのやえくも)を押し分けて天下らせられました。
この時、大伴連(おおとものむらじ)の先祖である天忍日命(あめのおしひのみこと)が、
来目部(くめべ)の先祖である天くし津大来目(あめくしつのおおくめ)を率い、
背に天磐ゆきを背負い、腕にはいかめしい高鞆(たかとも)をつけ、
手には天(あめの)はじ弓と天羽羽矢(あめのははや)を持ち、
八目鳴鏑(やつめのかぶら=多くの穴が空いた矢じりで射た時に鳴り、相手を射すくめるもの) も添え、
また頭槌剣(かぶつちのつるぎ=柄頭(つかがしら)が槌のような形をした剣)を帯びて、
天孫の前に立って進み降り、
日向の襲の高千穂のくし日の二上峯(ふたがみのたけ)の天浮橋に至り、
浮島のある平地に降り立ち、不毛の地を丘伝いに国を求めながら進み、
吾田(あた)の長屋の笠沙(かささ)の御崎(みさき)に到着されました。
そこに神がおり、名を尋ねると事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)と言いました。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子で、またの名を塩土老翁(しおつつのおじ)と言います。
天孫が「国があるか」とお尋ねになると
「ございます。御意のままに奉りましょう」と答えられたので、そこに留まられました。
【私のつぶやき】
一書の第四はこれでおしまいです。
でも、この章の一書は、第八まであります。
来目部は、今の久米氏。
大伴氏と共に軍事面で朝廷に仕えた氏族で、この一書は彼らの間で伝えられてきた内容と思われるそうです。
ここでは、天孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妃の父親神が、山の神様の大山祇神(おおやまつみのかみ)じゃなくて、
塩釜神社の御祭神、導きの神、知恵の神、製塩、航路安全の神様になっていますね。
私も25年位前になりますか、塩釜神社を参拝したことがありました。
当時はあまりよく知らずに観光コースに組み込まれていたので行ったのですが、
それから後の個人的な人生航路を振り返ると、まさに導きの神だったんだなぁと想いを馳せました。
そして当時は不勉強で申し訳なかったと恥ずかしく思うとともに、そんな私でも導いてくださった事に感謝にたえません。