天照大神の御誕生(四神出生章)第五段 一書(第六)その2 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

【前回までのあらすじ】

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、沢山の神々を生みましたが、火の神・加具土命(かぐつち)を生んだところで伊弉冉尊はお亡くなりになり、

伊弉諾尊は沢山の子供のうちの一人より妻が愛しくて嘆き悲しみ、

加具土命を恨んでぶった切って、黄泉の国へと旅立った妻を追いかけて行きました。

 

【天照大神の御誕生(四神出生章)第五段 一書(第六)その2】

 

伊弉諾尊が黄泉に入られ、伊弉冉尊に語り掛けると、

「ああ、夫の尊よ、どうしてこんなに遅くやってこられたのですか?私は既に黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。私は今から寝ようと思います。どうか私の姿を見ないで下さい。」

とおっしゃいました。

伊弉諾尊は、それを聞き入れないで湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を取って雄柱(ほとりは=先の所の太い歯)を折り、火を灯してご覧になりました。

すると、伊弉冉尊の体には膿が流れ出し、虫が湧いていました。

今、世の人が夜に一つ火を灯すのを忌んだり、夜に櫛を投げることを忌むのは、このためなのです。

(※ここでいう今とは、日本書紀が編纂された西暦681~720年頃の時代のことです。)

この時、伊弉諾尊は大変驚かれて

「私は思いもよらずに、不吉で穢れた国に来てしまったことだ」とおっしゃって、急いで戻ろうとされました。

伊弉冉尊は、

「どうして約束を破って私に恥をかかせたのですか!」と恨んで、

泉津醜女(よもつしこめ)または泉津日狭女(よもつひさめ)とも言いますが、その8人を遣わして伊弉諾尊を追いかけさせ、引き留めようとされました。

そこで伊弉諾尊は剣を抜いて、後ろを振り払いながら逃げられました。

そして黒いつる草を頭に巻いて装飾とした「みかずら」と言われるものを投げられると、

それがブドウになったので、醜女はこれを見て採って食べ、食べ終わるとまた追いかけてきました。

そこで伊弉諾尊は湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を投げられると、

これがタケノコとなったので、またそれを食べ、食べ終わるとまた追いかけてきました。

そして最後には伊弉冉尊本人が追いかけてこられました。

この時、伊弉諾尊は泉津平坂(よもつひらさか)に着いておられました。

一説では大樹に向かって小便をされると、それがたちまち大きな川となって、

追手の醜女が渡ろうとする間に伊弉諾尊は泉津平坂(黄泉平坂って変換されますけど神社検定公式テキストにはこの漢字で表されています)にお着きになられたとも言われています。

 

そこで伊弉諾尊は千人所引の磐石(ちびきのいわ)で、その坂道を塞いでしまい、

磐石を挟んで伊弉冉尊と向かい合い、離縁の誓いを立てられました。

その時、伊弉冉尊は、

「愛しい我が夫よ、そのような事を言われるのならば、私はあなたの治める国の民を、1日千人づつドクロしてしまいましょう」とおっしっゃいました。(※すみません、もしかしたら現代では表現がきつくてブログ記事が削除されるかもしれないので一部伏字にしました)

これに応えて伊弉諾尊は

「愛しい我が妻よ。お前がそういうのなら、私は一日に千五百人づつ民を生んで見せよう。」とおっしゃって、

「ここから、こちらの世界には来るな」と、杖を投げられました。

その杖が神となり岐神(ふなとのかみ)と申します。

また帯を投げられると神となり、長道磐神(ながちわのかみ)と申します。

また衣を投げられると神となり、煩神(わずらいのかみ)と申します。

また褌(はかま)を投げられると神となり、開くい神(あきくいのかみ)と申します。

また履(くつ)を投げられると神となり、道敷神(ちしきのかみ)と申します。

 

そして坂を塞いでいる磐石を、泉門塞之大神(よみどにふたがりますおおみかみ)またの名を道返大神(ちがえしのおおみかみ)とも申します。

 

この泉津(黄泉)平坂というのは、場所を指すのではなく、息を引き取る間際のことをいうのだとも伝えられます。

 

(つづく)