伊弉諾尊と伊弉冉尊は、次に海、川、山、木の神・句句廼馳(くくのち)、草の神・草野姫(かやのひめ)またの名を野槌(のつち)をお生みになりました。
そして伊弉諾尊と伊弉冉尊は相談して
「私たちは既に大八洲国や山川草木を生んだ。どうして天下の主(きみ)たる者を生まないことがあろうか」と、おっしゃって、ともに日神(ひのかみ)・大日め貴(おおひるめのむち)」をお生みになりました。
(ある書では天照大神、またある書では天照大日めの尊と言う。ふりがなもこれで良いのかよく分かりませんが、漢字変換できなかったところは需要のジュの下に女と書く漢字)
この御子は美しく光り輝き世界の隅々までくまなく照らされました。
そこで二神は喜ばれ、
「私たちの子は多いが、これほどに霊妙な子はいなかった。この国に留めておかず、天に送って天上の事を治めさせよう」と、
天柱(あめのみはしら)で天上へと送り上げられました。
そして月神(またの名を月弓尊・月夜見尊・月読尊)をお生みになりました。
その美しく光り輝くさまは日神に次いでいましたので、日神と並んで天上を治めるべきであるとして天上へ送られました。
次に蛭児(ひるこ)をお生みになりました。
しかし3歳になっても足が立たなかったので天磐くす船(あめのいわくすぶね)に乗せて風のままに放ち棄ててしまわれました。
次に素戔嗚尊(すさのおのみこと)をお生みになりました。
この神は勇敢で、残忍なところもあり、また常に泣きわめいておりました。
そのため国中の多くの人民(ひとくさ)を若死させ、
また青々と木の茂った山を枯れ山にしてしまいました。
そこで父母の二神は、素戔嗚尊に
「お前はとても無道で手がつけられない。天下に君臨させるわけにはいかない。必ず遠い根の国に行ってしまえ」と追放なさいました。
【私のつぶやき】
日本書紀には、神生みの話を四神出生章と題していますが、本文(正伝)では棄ててしまった蛭児(ひるこ)も含めての数なんですね。
現代の私には、『何で足が立たない子だからって無情に棄てちゃうかなぁ?』と納得できない気持ちがしますが、太古の昔は車いすも社会福祉政策も医療介護技術も無いから、そうするよりほかに仕方なかったのかもしれません。あの人は今?じゃないけど、その神様はその後どうなさったんでしょう?
別の日本神話では、天照大神と月読尊と素戔嗚尊の三貴子が伊弉諾尊の禊(みそぎ)で生まれたという話があって、私はその話が頭にあったので、今回、日本書紀の章題に四神と出ていたので『おや?』と思った次第です。
四神と言ってもあの東西南北を守護する青龍・白虎・朱雀・玄武じゃなかった。
そして素戔嗚尊も、のちの天照大神天の岩戸引きこもり事件以前に、すでに両親から追放されていたのですね。
それにしても、天照大神の伊勢神宮・天祖神社の伊勢信仰は全国的、
素戔嗚尊の出雲大社や首都圏では氷川神社なども結構全国的に有名ですが、
月読尊は祀られている神社が少なくありませんか?
でも、日本人はお月見でお月様に団子供えたりしているから、それが月読尊へのお祀りになっているのかもしれません。
神生みの話は、一書(またある話では)が、11パターンもありました。
《追記》ひるこ=蛭子とも書きますし、戎、恵比須、恵比寿さまとなられたそうですね。
昔は3年も足が立たないと親に捨てられても仕方ないよねって風潮があったのでしょうか?
それでも恵比須様は釣った鯛を抱えてあの笑顔!
それから四神についても、私の思った青龍らは四神じゃなくて四聖獣って言ったかもしれません。それは元々中国の思想のようですし、日本書紀では、こうなんですね。