【最後に笑うのはわたし】


子育てのコンセプトはこれだったことを

長女のおかげで思い出した。


親が手っ取り早くなんでもしちゃうと

こどもが経験するチャンスを奪うことにしかならない。

これは自分がいかに早く楽になるかが最も中心なので、その手間を前もって実行しておくという内容ですね(笑)

やっぱり自分の為です(笑)


。。。


こども達が小さい頃から

家庭の仕事は常に分担した。


・作る人

・並べる人

・洗う人

・拭く人

・片付ける人


・畳む人

・配達する人


・掃除機かける人

・雑巾する人


作るときもお手伝いしてもらってたかなぁ

この「手伝い」と言う言葉も違和感で(笑)


他所のオタクがピアノだ英語だスイミングだと

習い事の外注をして、お家の仕事なんかさせてる暇なんて、ない!の頃


うちは、そんな習い事してる暇は、ない!

と、せっせとみんなで生活してた(笑)

紙粘土で作った作品は25年を超えてまだまだ我が家に飾られてます)


こども時代にやる事で身につくことは

「暮らし」に根付いたことが大切だろうと。


ま、わたしが「なんで一人でやらなあかんねん」

「お母さんってそー言う立ち位置なん?」

それって、おかしくない?


的な発想だったり

人と同じことをするのが嫌いなのもある(笑)




絶対、最後に笑ってやる!!と心の奥底で拳を握りしめていたのかもしれない(笑)


そんな昔話しを思い出したのだ。


。。。


長女が言う。

お母さんありがとう。


食事をしたら、下膳する。

玄関では、靴を揃える。

挨拶を、する。

お礼を、言う。

何か、手伝うことはありますか?と声をかける。


そんなことが、普通に出来る。

こんな普通のことが出来ない人が多い。

こども時代に当たり前に出来るようにしてくれてて、今頃ありがとうって思う。



と。


前回の記事で書いたけれど

長女との関係はほぼ最悪でした。

個人対個人と、親子であっても「1人の人」として認識出来た時から、こんな風に話せるようになったのだ。


いろんな相談の中で、

わたしは「あなたのいいところは、、、、」と

これまた、今までにない表現で客観的に伝えることが出来ていた。


不思議なもんだ。


そして、同時に心の奥底で「にゃ」とした。


生きる力を自分の手でちゃんと伝えられてた。

お金出して外注することを選ばなかったのは、正解だったなーと。


知人達が躍起になって習わせていたことも

自分が必要とした時に必要とした分ちゃんと手に入れていた。


ピアノも泳ぎも。

そして何より、人を大切に出来る人になっていること。


誰よりも先んじることも、時には必要だろう。


でも、まず立ち止まって足元をみて

そして、役に立とうと工夫する、、、

その人の目線になって寄り添う。

ただ、ベタベタして「無責任な介入」になることもなく、人と付き合える。


そんな彼女は支援学校の先生。


小さな頃から

公園で遊んでいると

気づいたら知らない小さな子達に囲まれて

背中に膝に、、、

まるで磁石のようにこどもの心を惹きつけていた。


高校進学で足踏みしていた彼女に

そんなことの毎日だったよーとただ思い出した光景を伝えたら「保育士」の道に進んだのだ。


そこからも紆余曲折あったけれど

こども達の人生のほんの一瞬の関わりで

大きな影響を与えられる人になっているみたいだ。



絶賛

ステキな人に育っています❤️


子育てってね、子育てしてる時は

没頭したらいいと思う。

でも、こどもの言いなりになるのは、違うと思うなーとすごく感じるね。


上手く言えないけどね(^○^)