昔、母親が病院のベッドでこんな話しをした。
お母ちゃん、夢みた。
おとーちゃんが帰ってきた夢(笑)
で、ご飯炊いてないわ、炊かなあかんわぁって言うた、、、ははははは
って。
夢に出た父は既に他界して数年経っていた。
その時のわたしは、なんて馬鹿な話しを、、、
なんで、夫の帰宅→ご飯になるのかねぇ
って、、、、最低な娘。
それから病院と言う環境のせいだろう、小さなアルバムをぼろぼろになるまでめくって何やら思い出話をしてくれたり、、、
(優しくない娘はただ時間が経つのを待つくらいにしか思ってなかった、、、)
それから長くは無かったな。
こども孝行な母は静かに眠りについた。
。。。
おかーちゃんロストでしばらくはなにをしていても気づいたら泣いていた。
洗濯物を畳んでいても何故か頬を伝う涙があった。
そんなに好きだったわけではないのに、、、
今思うと、ほんとに何故だったのか。
。。。
あれから10年。
「母」に対する理解のないまま。
わたし自身「母」になれていないと言う思いのまま、こども達は成人した。
もがきながら
「母親」を必死にやってきた。
しかし、その「母親」がこどもにとって必要な間はまだ日々の予定をこなすことで紛らわしていられたけれども、とうとう「素の自分」に対峙しなければならないタイミングが来たのだ。
それは、母が亡くなって4年後のこと。
自分探しが始まったのは2015年。
紛らわしすぎたおかげですごい苦しかった。
そして6年経ち、愛着障害の本から得た気づきのおかげで、このずっと引っかかっていた冒頭の母の言葉を理解することが出来た。
まだちゃんと言葉に出来ないけども
妻にとって夫への愛の表現は「ご飯」だったのかも知れない、、、と。
「食事は愛なんだ」、、、と。
夢にまで見るほどに、夫が恋しかったのだ。
その恋しい夫に会えた時、真っ先に「ご飯」と思った妻の気持ち。
子育てを終えて
夫婦2人になって
やっとやっと
わかった気がする。
この写真は数少ない母との一枚。
お正月かなー?
自分のために時間をかけて着物を着せて貰えたことが嬉しくって、、、
この後こけて泥んこにしてしまって、泣いた覚えがある。
多分3才。
わたしは母との触れ合いが少なかった。
父親との時間の方が多く、母との思い出はほんの少しで、ちゃんと育てて貰ってないと思いこんでた。
こんな風に
ちゃんと育てて貰ってたじゃないか。
愛着障害を読んだ後
「母も父も、そんな生育環境で、人生の流れの中で母親父親となってしまって、よく4人も育ててくれたね、大変だったろーに、、、」と
思えたのだ。
感謝と言うか、肩を組んで「おーよくやったよ」と讃えあう同胞的な感覚。
あぁ、みんな被害者(この言葉は好きじゃないけど)なんだー
誰も悪くないんだー
あーそっかそっかー
と、すとんと肚に落ちたのだ。
。。。
ここからがスタート。
この大きな気づきから
自分への優しさを発動させて
目の前の愛する人への愛をも表現させて
更に溢れさせる。
そんな柱を立てる、やっとパーツが揃った。
そんな感じ。
今日の夏至の日にそんな風に思えて
とてもハッピーだ。
お母ちゃん
お父ちゃん
ありがとう