【それとそれで、ひとつ】
必要とし
必要とされる それは伴侶という存在。
互いに絶対に違う存在であり
合わさっても、混ざらない、
デコとボコのようなもの。
でも、ぴったり当てはまるそれ。
割れたクルミの殻のように
相手は絶対に「ひとつ」なのだ。
「自分」と書く。
みずからを分けたものが、自分。
一つになって当てはまったことを腑に落とせた時、満たされるのではなかろうか。
探し惑うときもあり
目の前のそれがそうなのだと
どーやら薄ら見えてきたとき、
いゃ、そんなはずはないと見えないふり、忙しいふりをして受け取らない・認めないことを積み上げたときも、あった。
どーやら、これはどーやって逃げても逃げられない事実なのだと、確信したとき、、
肚をくくった。
そう照準を当てて向き合う覚悟、
何が起きても全て自分が引き受けるんだという覚悟に繋がったのだろう。
そこに突き当たったおかげか、
わたしは「自律」出来たのだろ。
自分の始末をつけれない中途半端な大人になって、それを認めるのが格好悪いのだとどこかで自分自身を蔑んでいたわたし。
自立と自律は違ったのだ。
わたしというこの命を生かすために、沢山の命が「わたし」になっているのはわたしへの奉仕や捧げ、いや愛なのだ。
迷わずその命達は「わたし」になってくれている。
それらを受け取らずして、心の自律はなかったのだ。
自分で立つなどと、そもそも独りよがりな思考ではないか。
常に何かに応援されながら、粛々と育ち合うものなのだろう。
喜んで集まってくれる命達を
日々活かし続けることが地球への貢献。
自由になるこの手は全ての命を活かすためにあるから。
気づかずに、一生懸命にその手を使っておられる方に出会うとどうしてもハグしたくなる。
あなたの思いは届いているよ。
だからこそ!
与える側に来て欲しい。
あなたの笑顔は誰かのチカラになる。
もう、たくさん与えられたはず。
満タンになっているあなたからは
すでに溢れてきているのだ。
みずからの「半分」と出逢うことを怖がらないで、一歩踏み出す。
ただ、手を出してみる、それだけ。
握りかえしてくれる手は
目の前にあるから。