これから述べることは、あくまで私自身の実体験に基づく見解ですので、必ずしもすべての事柄や他の方がたの意見、経験とは一致しないかもしれないことをあらかじめ申しあげておきます。




人生において起こるあらゆる事柄。
良いこと悪い事、幸せな事、苦しい事。
その起こるすべての事柄、つまり自分自身の人生に起きる幸福も災難も困難も、すべて自分自身の責任だということ。
これは私自身、自らに訪れた様々な困難を乗り越えた結果、感得した事です。

その中には病や不可抗力の災難も含まれます。
当然反駁したくなる方もおられると思います。
それは確かに自らが招いたものではないかもしれません。
しかしここで私は仏教における因果応報や輪廻転生による自らの魂の業などという仏法論を用いる気持ちはありません。

私が申しあげたい事は、自分の人生に訪れるあらゆる困難は、最終的には自らがのみ乗り越えることができるという事です。


人は皆、辛い事やひどい目に遭えば、何かのせいにしたり、他人のせいにして自分のせいではないのにと嘆いてみたくなります。
しかし、それをしたところで目の前にあるその困難は変わらず自身の前に立ちはだかっています。
自分の人生を生きていくのに、その人生の操縦桿を他人に預けることは出来ません。
人生における困難は自らがのみ乗り越えることが出来るのです。
そして他人の助力に頼らず、自らそれを乗り越えることにより、自身の成長に繋がるということも言えます。

ただ、泣いたり嘆いたり怒ったりすることを否定しているわけではありません。
それは人として当然抱く感情です。
しかしそれに溺れてはならないという事です。
時には不安になったりネガティブになったり後退することもあると思います。
一時的に休息が必要になることもあると思います。
ただそれでも最後には立ちあがり、自らの困難に向かっていく事が大事だと思うのです。
そしてその事により得た経験は、自らの自信の裏付けとなり揺るぎがたい盤石の礎となるのです。



他人や周りの環境のせいにするのは楽ですが、それをしたところで何の解決にもなりません。
しかしすべてを自分自身の責任と受け入れ覚悟を決めてしまえば、変に他人を恨んだりすることも無くなりますし、何より気持ちが楽になります。
ですから私はどのような困難、厄災も自分の気持ちの持ちようで、自らを高めるチャンスと捉え、ポジティブなものに変えていくことが出来ると思うのです。




ひるがえって、悪いことをそれと自覚して行った者はどうか?

あらゆる事柄をすべて悪く捉え、何かまずい事があると、その時その時で巧く立ち回り責任を回避し、あまつさえ自らの立場を周りに正しいものとさえ思わせる。
加えて様々な悪事を繰り返し散々甘い汁を吸い続けた挙げ句、いざその悪事が露見すると、すべてを人のせいにし、自分は責任を取らない。
それどころか自分は誰々のせいでやらされていた等と厚顔無恥にのたまい、恥知らずにも平気で自身を正当化したり開き直ったりもする。

しかし、自ら行った行為の責任は自らが負わなければなりません。
どれだけ泣いて喚いても、どれだけ人のせいにしようとも、それは走っても走っても、どこまでも追いかけてくる月のように決して逃れることは出来ないのです。
良い行いも、悪い行いも、すべては自分自身に帰ってくる来るのです。





だからこそ私はどのような困難に直面しようとも、人や周りや環境のせいにせず、すべては自己責任と受け入れ覚悟を決め、堂々と、そして敢然と立ち向かっていくべきだと思うのです。