rain worldっていう毎日雨で世界崩壊する世界を小動物になってサバイバルするゲームにハマった。

 

なぜハマったのかは自分でもわからない。でもやると一気に数時間なくなる。

言われそうな人気要素が

キャラがかわいい(猫の頭ついてるナメクジだけど)

音楽がいい(音楽で敵がいるかどうか分かるせいで自分にとっては環境音になってる)

世界がいい(水の世界)

親切な設計:道なりに進んでもいいしオープンワールドっぽい感じもする、そして解決策が常に近くにある(まだチュートリアル?だったのか?)

 

こんなもんなのか?

 

と書き出して思ったんだが、なぜかわからないがとにかくハマる。ハマるの基準は時間を忘れて遊べることだ。案外これが難しい。時間忘れて遊べるゲームは少ない気がする。やってて作業感というか仕事してる気持ちになることが多いが、このゲームではまだその感覚がない。

まぁ今日で2日目なんだけど。

 

昨日はrain worldとハースストーン遊んだ以外何もしてないかもしれない。

ハースストーンといえば久々に入れた。理由はオートチェスっぽいのがあると聞いたからだ。だけど今ではアドベンチャーモードばっかりやってる。アドベンチャーモードはデッキなくても遊べて、敵倒すたびにデッキ強化されて、敵が8体(内1体がボス)って感じで勝ち進んでくゲームなんだが、これが面白い。まるでボードゲームのようだ。

 

前々から常々一人でボードゲーム遊びたいなぁと思ってたが、これは丁度いい。まさに求めていたもの。思わず課金したくなった。

課金はしてないけど。rain worldとりあえずクリアしたいなと言う気持ちある。

 

というわけで一人用ゲーム、rain worldとハースストーンのアドベンチャーやオートチェスあたりがおすすめですよ、って話でござんす

ほしい物事について学べば良い

縛られたくない

何に?

社会に、会社に

であれば、社会と会社について学べばいい

法律について学べばいい、税金について学べばいい。

 

「社会について勉強しない大人」は、必ず搾取される。

という記事を読んだ。その記事には以下のフレーズが書いてあった。

 

法律の知識がないと法律に縛られるのと同じように、お金の知識がないとお金持ちになれませんし、経営の知識がないと経営者になれません。

 

このフレーズが、自分にこのブログを書こうという気持ちを沸き起こらせた。

 

それって要するに、ほしい物について調べることだよね? と思ったからだ。

 

オロゴンクエスト 〜悪霊の神々〜(Voicy) 第9話

 

では、車を買う時、出口を考えるという話がされていた。

すなわち、何でも安く手に入れ高く売り出すことを念頭に入れて買うらしい。

 

出口の一例として、まず業者の相場を調べる。業者向けの卸売車の相場を調べた後、ビッグモーターだがアラジンだかイエローハットだかに車を持っていき、相場の値段を最低でも得るとして、更に目標値として送料分上乗せさせるんだとか。

 

高く売りたい時、高く売るために相場を調べて、相場を調べた上で送料上乗せした値段で売る。そうすれば向こうは必要以上に得することは出来ないものの、利益は確保しているし、こちらも損はしない。

 

高く売りたい時、高く売るために勉強する。中古車業界の仕入れを、ビジネスプランを逆算し、利益を得ている部分の手間賃を自分で代替する。

すなわち、労働力の手間賃を自分で解決するために勉強する。ってことだろうか。

 

資本論では、価値には、労働力と使用価値の2つの軸があるという。(あってるかは知らん)

労働力の部分を価値に変えるのが文系であり、使用価値を作り出すのが理系なのかな。

 

使用価値とは、機能のことを指す。

 

目につくものはすべて商品。ペンであれば、字を書くことが機能価値。ペン回しとかもあるけどそこはほっとく。字が書ければすべて一緒、そういう意味では安いボールペンでもいい。

 

でも労働力を含めていくと、おしゃれなペンが出てくる。ペイントという機能価値のない労働力を費やしたペン。

そしてペイントのデザインはそのペイントした人の経験値がくっついてくる。もしキャラクターであれば、キャラクターの文脈がついてくる。

 

同じ書くものでしかないのに、そこに文脈がついてくる。わかりやすい文脈が。

 

例えば、おしゃれなペンを使ってれば、あーそれどこで買ったんですか? とか、おしゃれですねーとか、会話が生まれる。

キャラクターのペンであれば、あーそれ何々ですよね、私好きなんです。とか、可愛いですねー、何のキャラですか? とか、会話が生まれる。

 

もし年配の方があまり合わないかわいいペンを使ってて、そのペンどうしたんですか? と聞いてみれば、もしかすると娘からもらったと自慢するかもしれない。自分でも似合わないとわかってて使っているのであれば、おそらく違和感を生み出し、それをフックに会話したかったのかもしれない。いわゆるワンポイントおしゃれもそういうものだ。これだけはこだわっている、みたいな。

 

そういうわけで、文脈は無限に広がる。機能価値は実態がある。

 

機能価値は少ないが、文脈は無数にある。そして欲しい物について勉強するほど、文脈から背景を読み取れるようになる。

銭がほしければ銭を勉強したほうが良い。なぜなら銭の勉強すると、銭はある種の投票券、銭は信用の代替品、銭は労働力の成果証明券、金には実体がないからいくらでも刷れる、でもそれをしない理由。といったこともわかってくるし、銭の流れがわかれば銭の集まるポジションに居座るにはどうすれば良いのか、というのもわかってくる。

銭をせき止めていると税金というペナルティを与えられるとかも。

 

勉強とは機能価値を知り、文脈を知り、背景を知り、"それ"の世界を知る手段。

すなわちルールを読み込めってことになるな。

ルールがわからないから意味もわからず反則になり、ペナルティを与えられて拗ねる。

ルールが分かっているからルール上は許される"ズル"をして、周りからせこいと言われるも機能価値をどんどん蓄えれる。

そして広まれば公式(国)から規制される(法律を作られる)。

 

現代は暴力が禁止されているから、ゲームになっている。だからゲームのルールを知るというのは、点数を貰える方法を知ること。点数を得る方法がわかれば、それを成そうと努力できる。

金がほしければ、金の周囲のルールを知る。何をすれば金が増えるかを知る。そして実行する。

 

だから欲しい物について学ぶと良いってことになる。

 

暴力も、いうなれば勉強が必要だ。例えば、武術という知識を持ち、武術という型に沿って体の技術を磨けば、何も知らずに叩く人よりも、よっぽど強い攻撃ができる。そして手加減も上手だ。

 

暴力がほしければ暴力について学んだ方がよいし、権力がほしければ、権力について学べばいい。

 

ほしい物事について学べば、ほしい物あるいは欲しい事を得られる行動を取れるのだ。

小説家はすごい。

どんどん書いていける。

無限に書き続けれる。

 

どうしてだろう。

それはきっとすでに書くことが決まっているからだと自分は思っている。

自分の内側に溜まっていたものを排出、翻訳しているからだと思う。

 

ブログもそうだ、今自分が4記事書き続けれるのは、今まで人に見せようと思わなかった内面の物を、全て惜しみなく書き出しているからだ。

 

そして書き出す後押しになっているのが、誰にも見つからないけど、理論上見つかる様な仕組みだ。

 

リブログいいね、マイピクコメント

全部禁止。

莫大な数があるアメブロの中にひっそり佇み誰も見ないブログ。

 

そういう風に自分の中では定義づけられている。

だから思うがままに書いていく。木を生やしていく。

木を生やすと林

なんてね

 

こういうブログを書いていくのは結局普段のノートに近いものがあるのだが、ノートにはもっぱら他人のノウハウや他人の視点より生まれるひらめきばかり書いている。

なので個人的な物をこうして赴くがままに文章としてノートに書き出すことは稀だ。

こうしてブログを書いてみると、意外と書けてしまう。案外、自分語りが好きだったのだろう。

 

しゃべるのは苦手だ。反射的に思いつくがままに話すけど、聞きたがる人はいない。

でもブログはよい、反射的に思いつくがままに書いていくけど、書きながら自分に読まれている。

 

どちらもアウトプットだが、前者は互いの時間を無駄にするが、後者は己の時間のみを無駄にする。

コスパよく、コストも低い。

当然だ、前者は会う必要があって、時間を調整する必要があって、話しながら話した事を忘れていく。そして特に印象に残った一言を胸に刻む。

あほくさ

それならば本を読めばいい。特にうまく行ってる人の本を読めばいい。

本はブログと違ってまとめている。そしてその人がこれが大事、これを伝えたいと思って濃度を上げて書いている。

まぁ最近はたった一つの言葉を無限に水で薄めて出版するホリエモンの言うカルピス本が増えているけど。

僕は貧乏くさいカルピスが好きではない。

だが原液はまずいから嫌いだ。

よって自分は貧乏くさいカルピスと原液を避ける。

 

原液は経典、すなわち古典である。

貧乏くさいカルピスとはホリエモンが書く様な本だ。

丁度いいのが引退前に死蔵して持ってくのもったいないからと放出されるものだ。

島田紳助による『紳竜の研究』

本多静六の『私の財産告白』

とかそのあたりだろうか。

 

資本論はカルピスの原液に近いから読んでない。

孫子の兵法はカルピスの原液だからめんどくさすぎて読んでない。

 

とか書いてて何の話だっけ、と思いながら見ると小説家を褒める内容だった。

そうそう、自分が好きな小説を読み続けると、自分でも小説を書きたいという気持ちが沸き起こる。これが二次創作の原動力である。同時に、アクセサリーが好きで良くアクセサリー見てると、自分で作ってみようかなという気持ちが沸き起こる。これを実行に移せばそれがアクセサリー作りに至る。

自分は小説が好きでいっぱい小説を書こうとしたが、全て原動力を使い切ったら止まる、いわゆるエター現象に至り、小説を書きたいとは思うものの、学習性無力感にとらわれている。

なので、原動力はプランに使う方が良いと思う。原動力を書きたい物までの流れ、すなわちプロットに消費し、プロットを作り込み、プロットを眺めて原動力を生み出す形にするのが良いと思う。

もしプロットを眺めて書く原動力が生まれないのであれば、それは書かなくて良いとも思う。

ブログと違って、小説には完結があるからだ。

 

自分が気になっている面白い小説、面白い本の問題点の一つが、終盤に向かうにつれ、つまらなくなることがある。それはおそらく、終盤に向けて風呂敷を包もうとして、面白さ優先ではなくなってきたからかもしれない。

原因はわからない。もしかすると鳥山明先生の言う、自分の作品は終わった。でもジャンプの編集部に無理やり延命させられ、終盤ではもう何書いているのかわからなくなった。みたいな話が近いのかもしれない。

 

自分の書きたいところまで書いた。でも書き終わった以上は終わらなせないといけない、それがつまらなさを生むのだろうか。

 

ゼロの使い魔は最終巻を残し、作者が死んでしまわれた。そして、代わりに生まれた本来のプロットによる最終巻は、流れとはそぐわぬものだった。

俺の妹がこんなに可愛いわけがない、の最終巻も気持ち悪いものになっていた。今までの流れをすべて断ち切り、一巻の小説として完成していた。

ワンピースはまだ結末に至っていないし、作者本人は結末だけを決め、途中は流れに任せて描いているらしい。でもあそこまで大きな風呂敷、絶対結末をある程度あわせないと辻褄が合わないだろう。

 

おそらく、プロットは壊れるものだ。本来の人形劇から離れ、魂を持ち始めるのだ。

であれば、またプロットを直していけばいい。とある魔術の禁書目録のアレイスターごっこすればいい。でもそれが許されないのは、その発想に至らないからだろうか、あるいは、編集部の事情を考えないからだろうか。

 

ゼロの使い魔はラノベブームの源流を生み出した。おそらく完結しないほうが良かったかもしれない。

完結しないからこそ、誰もが最後を想像していた。永遠に至らない結末を期待しながら

未完が完成、ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムだったのだ。

 

それを別人に無理やり完結させてしまったせいで、なんとなく終わった話になった。そして終わりへの納得もいまいちだった。と自分は思ってる。だから最終巻は存在しないという信仰で生きている。

 

似たような信仰はからくりサーカスにも持っている。

からくりサーカスは3巻で完結。鳴海は死んだ。

4巻以降はマサルの妄想語り、鳴海への償い? マサルはシロガネと人形劇を演じながら、その語りを綴っていた。

4巻以降はマサルの人形劇だった。

 

そんな感じ、おしまい

 

したかどうかはわからない

 

けど何だろこれ

酒になるのか? みりんになるのか? 酢になるのか? 腐るのか?

 

 

やってみてわかったけど、やっぱり何事もやらないとわからない。どうなるかわからない。

んだが、そもそも知識無しでやるのはコストがかかりすぎる。

失敗してもどこで失敗したのかわからないし、そもそも失敗が失敗と気づけない。

運良くうまく行ったとしてもおそらく再現性はなく、再現性があっても、おそらく無意味な、魔術的行動も含まれている可能性が高い。

 

何をやるにしてもまず調べてから。調べて計画を立ててから。

知識を持って計画立て、実行し、うまく行かない所がなぜうまく行かないのか理解できるようになる。

 

ってことを失敗と財布へのダメージで気づけた。

あと最大の問題点が一つ

 

作りながら市販の酒を少し飲んでみた、なめるくらい。数時間は頭がフラフラした。

自分は酒が弱い。酒が好きではない。なのに酒を作った。

これでは試せない。これではわからない。

良いのか悪いのかすらも

 

まぁ今回は誰が見ても駄目だからなんとか分かるけど、そういうことだ

 

酒がわからない。そして酒を受け付けない体質。

 

自分の好きなことをやれ、というのは知ってること、詳しいことをやれってことになるんだろう。

好きじゃなくても無理やり詰め込まれた物は例外的にセーフ。なんだろう

 

とはいえ、好きな人よりうまく行かない確率のが高い。ほぼそうだと思う。

なぜなら好きじゃない、好きじゃないから見えてても見えない。型以上に発展しない。

目標を立てれば別だろうが、行きたくない行き先にはなかなかたどり着けない。

 

だから好きなことをやれ、好きこそものの上手なれ。

プランを持て、知識を持て、さすれば冤より免れる。

 

というここ数日

 

どうしても書く気なくす、時間捻出してない

というわけで解決策考えたんだが、まずうんちくから

 

自己肯定感の上げ方。

自分との約束守る

 

これだけ。

 

以下具体例とブログ書く解決策書いていく

 

受験勉強を切り抜けた人は、一生やっていけるみたいなことを林修さんが言ってた。youtubeでみた

なぜやっていけるかと言うと、最もつらい時期を頑張りきったという経験があるから。

おそらく、この経験が自己肯定感を生み出しているのだろう。

 

そして自己肯定感を上げる際、オナ禁、絶食、徹夜という手段がある。3大欲望、本能だ。

本能だから煩悩、いわゆる欲望が最も強まりやすい。そしてその本能を克服していけば、きっと自己肯定感が上がるはず。

 

徹夜は昔の人がよくやっていた、俺は寝ないで頑張ったとか。いや、今の人もよくやってる、寝ないで頑張っていると。

とはいえ睡眠は取らないと頭が回らなくなり、脳細胞が死んでいき、体調が悪くなりやすいことはわかっている。

なので除外。

次に断食、これも悪くないが、断食チャレンジしていくのはなんか怖いからなし。

 

だってオナ禁があるんだもん。オナ禁はしなくても問題ないと思う。しらんけど

オナ禁するけどセックスとはしていいとかにすればいい。

実際、エリートなほど変態趣味らしい。理由は受験期の禁欲生活。どっかで聞いたけだけだけど、とりあえず信じることにした。

 

そしてオナ禁は日数を重ねていける。やればやるほど、頑張って続けた記録を破りたくなくなり、どんどんオナ禁しやすくなっていく。

そしてオナ禁という約束を今日も守ったぞと自己肯定感を利息的に、無限に増やせる資産になるわけだ。

精子を貯めて、自己肯定感という利息を貰えるシステムである。

 

まぁそれは良しとしよう。ついでブログを書く方法だが、これもオナ禁と同じ。続けるほど、やりやすくなる。

前頭葉を利用するという話を聞いた。前頭葉信仰にもにた話なのだが、自分にも見に覚えがあるので紹介する。

 

まず前頭葉は頭が良すぎるらしい。なので、やる、やらない、という決断以外必要ない。

なぜならどちらでも実現させる力があるからだ。

簡単に言えばスイッチだ。やるスイッチとやらないスイッチ。ONとOFF。片方押し込むとともう片方が出っ張る。

やらないのであれば、やらない理由をたくさん出して、やらない理由を無限に出し続けれる。何なら体調を悪くすることもできる。

やるのであれば、やる理由をたくさん出して、成功させるためのアイディアを無限に出し続ける。何なら本能無視しても体調がそこまで悪化しないことも?

大事なのは前頭葉スイッチをオン(やる)にし続けることだ。そうすれば常に働き、常に可能への可能性を提示してくれるそうだ。

 

ファンタジーだ。だが近いことは起きたことある。

 

LOLという5対5のチーム戦をするゲームやってる際、ボッコボコにされ、自分は諦めた。でも味方は降参を許さない。そして自分はここで降参が通らなかったら、全力を尽くす。そう思って降参を提案した。

 

通らなかった

 

その時からいきなり切り替わった様な感覚を覚えた。現状を把握し直し、自分のできること、勝ち筋を考え出し、操作も普段以上の力を発揮した。そしてちょっとずつ巻き返し、お互いの陣地の割り合いで、本当に少しだけの差で勝てた。

 

絶望から勝ったのである。

 

それ以降味をしめ、何度もやったのだが、勝ったり負けたりした。実力に大差ない限り、味方あるいは敵が諦めてない限り。割りといい勝負できた。どの試合でも。

特にプレイのレベルが低い時代は、行けそう?! って気持ちになったチームの方が強い。実力に大差ある場合は、その流れを利用されるが、そうでない場合は明らかに勢いに乗ったチームのが強いのである。

結局、スキルよりも、マインド(精神)を制したほうが良いのでは? という発想にいたり、ティルト(拗ねる、怒る、八つ当たりする)を減らす方向に向けた結果。

向上心なくした。

 

まぁ笑い話だが、向上心なくしたけどゲームはうまくなった。

 

おそらく、この負けん気が邪魔をし、負けん気が背中を押していたのだろう。

 

まぁこれについてはまた違う方法がある。

 

それは遠い先に目標を設定することだ。

 

マインドを制するということを、自分は目が見えると表現する。

馬車の馬には目隠しをするそうだ。なぜなら、目が見えると、闇雲に走り出そうと思わない。より良い物に次から次へと目移りして、道草食ったりバラバラに走ったりするそうだ。だが、見えないから合図とともにとりあえずまっすぐ走るのだ。

 

つまり、目が見えないからがむしゃらに頑張れると言いたい。

そして目が見えると、ゲームに没頭して何が得られる? 実体は何も残らない。すべて情報だ。公式が潰れたらゲームは終わりだ。そういう気持ちになった。それよりも実体になるものを頑張ったほうが良いのでは? 残るし。という発想に至った。

でも実体になるものが多すぎる。そしてどれもめんどくさすぎる。

そして行動しなくなった。この現象はインポと呼んでる。帽子男という論客の影響だ。まぁそれは関係ないとして

 

目が見えるのであれば、まだ見ぬ先を見て、まだ見ぬ先の方向に向かって歩き出せば良い。遠回りしようが、方向があってれば必ず近辺にたどり着く。近辺にたどり着けばなんとなく見つかる事が多い。

これは自分が普段迷子になった際に使う方法だ。

 

同じ様に、目が見えるようになると迷子になる。ここはどこだ? って。さらに言えば、どこに行けば良いんだ? って。

だから、遠い先に目標を設定する。先程のLOLというゲームであれば、ダイアモンドに達する、マスターになる、チャレンジャーになる。

そういった目標を設定するのが良いだろう。

何でも良いのだ、とりあえず目標を設定する。そして前頭葉スイッチをONにする。

 

そうすれば目が見えた上で走り出せる。間違った方向、逆方向や異なる方向に向かわずに済む。道なりに進んで違う場所に行き着くこともない。なぜなら正しい方向を知っている。道なりに進んで、チャンスが有れば正しい方向に向かう。そして行き止まれば戻ればいい。寄り道はたくさんするだろうが、その寄り道は将来違うところに行くときに約立つ。

 

そういうわけで。何の話だっけ?

そうそう、ブログ1日4記事以上の話だ。

 

オナ禁した日はブログ書く。ブログ書いた日はオナ禁する。

こういうコンボでやってこうと思う。やればやるほど長続きしやすく、気づけば習慣となるだろう。

少なくともブログとオナ禁に前頭葉スイッチを入れてやるぞ。

っていう決意ブログでした。と