- 遂行機能障害の問題を考えてた。
- [症状別]高次脳機能障害について - 医療法人財団 慈強会
- の3番目くらいに書いてある。
- 1.目標の設定の障害
- 未来における目標を明確に設定できない。
例)何かを始めるときに「○○をしたら、□□になる…」といった予測を立てずに、手当たり次第に物事を進めてしまう。 - 2.計画立案の障害
- 目標を達成させる為の計画の段取りを立てられない。
例)何かを始めるときに「○月□日までにこれをして…」といったように、具体的な締め切り設定できない。 - 3.計画の実行の障害
- 正しい手順で計画を開始・持続できない。
例)「○○をしてから□□をして、最後に△△をする…」と段取りを組んでいるのに、いざ始めると気が向いた順で作業を行ってしまう。 - 4.効果的・効率的な行動の障害
- 目標に近づくように、自己の行動を評価し、必要に応じて修正できない。
例)「予定していた○○さんが休んでしまった…」と、急な予定変更がおこったときに、その状況に応じた計画の変更が出来ない。 - 遂行機能障害の説明が、あー、自分だな。と思った。でも読む限り、自分は"出来ない"わけではないなと気づく。
- 多分出来ないのではなく、やってないだけだと思った。
- そんで、やってないのであれば、何をやればよいのかを考える手がかりとして、以上の4つをベースに使うことにする。
- 1、目標の設定の障害。
- これは手近な、与えられた目標を利用すればいい。そんで固く甘くで2つの目標にする。
- 例えば、テスト前ならテストで合格する、偏差値上位目標にする。
- ノルマがある仕事ならノルマの達成、優秀社員を目標にする。
- 商売なら黒字を目標にする。黒字を増やす、自動化する、支店広げるとか選択肢多いが、願望に沿った選択肢する。
- "自分"の目標を探そうとするから失敗する。だから、まずは渡された目標を守り、ちょっとずつ自分の願望を混ぜて型を破り、"自分"の目標のために頑張り出し他人が渡す目標から離れるのが良いと思う。
- 2、計画立案の障害
- これも手近なところから始めればいい。僕のブログで例えるなら、まずパソコンの電源ボタンを押す。ブラウザを開く、アメブロ開く、アメブロのブログを書くボタンを押す、本文を書き出す。
- 要するに工数を書いていくことかな。無意識で実行する工数が足りないから失敗する。
- 失敗するとエラーが出ない代わりに、実行ができなくなる。
- これも多分できるから大丈夫。そう考えるとアメブロって工数少ないな、これブログ書けてる勝因の一つかも
- 3.計画の実行の障害
- これは自分の設計通りに動けるかだなぁ。ここは自分でも結構難しい、失敗する。
- 自分は自分との約束破るのがコンフォート(心地よい)になってしまっているため、無意識で失敗しに行ってる気がする。
- でも工数を設定すると成功率上がるし、可能な限り自分との約束守ろうと最近頑張ってる。
- 自分への信用を稼ぐ。
- 4.効果的・効率的な行動の障害
- 反省する。次はこうしようと決めて忘れる。
- これは出来てる・・・と思う。うん、できてる。ゲームで上達する時、欠かせない技術だからだ。
- それなりにできてると思う。さらに言うならできてる人を見て分析するのもこれにつながる。できる
- ただ現実は配信でやり口ばらまいてもらえないから、辛いんだよね。
- 自分で考える筋力失ってる自分には今のところきつい、筋トレが必要だ。
- IQ測定大体半分しか出来ない。友達とやってみたら気づいた。どのテストでもだいたい半分くらい。
- つまり頭いいほうじゃないんだよね、普通。筋トレして足さないとな
ブログ1日4記事書こうと思ってたけど、割りと4記事書けるときと書けない時があるから、自分に甘く、1日最低1記事、書ける時は4記事以上書こうと負荷軽くした。
固くというのは、ブログを毎日4記事書く、という構造自体は変えず、変数だけを変えることを指している。
要するに、毎日/ブログ書く/4記事 の内、毎日と4記事が変数である。2日に4記事、あるいは1日1記事。みたいに理論上変えていけるわけなんだが、できるだけ変えない。だから"固い"と表現している。
できるだけ変えないが、"どうしようもない"場合もある。その時は自分に甘く、達成できなかったことを責めない。何ならちゃんと1記事上げたじゃん、と慰めてあげる。
ここでポイントなのが「褒める」ではなく「慰める」ことである。褒めた場合、"その行動が望ましい"ことになる。よって1日1記事まで、という行為を強化してしまう。でも、慰めの場合、"自分を責めない理由を与える"ことになる。なので、自分を責めず、次の日は頑張るぞい、ってなる。
これはマイブームの"学習性無力感に基づいて思いついた仮説だ。
行動に移せないのは学習性無力感のせいではないか、という考えがあってマイブームにしてる。
このメソッドはブログを書く時にで試しているが、作用はしている。
ブログ以外にも転用していこうかと思う。
そんでこのネタを書こうと思ったきっかけが、”論文YouTuber笹谷ゆうや”である。
最近は、PPTを作り、それを10分ぐらいで説明するという、普通のプレゼン式動画が多い。
この動画に関しては、真面目に聞くというより、聞きながら自分の考えを挟み込みつつ、自分の考えを書き出すという視聴形式をしている。ネタを書こうと思った動画は下のリンク先にある。
理不尽な環境に慣れると抜け出せないが、他人は抜け出せると思ってしまう
この動画を見て、自分なりに自分の解釈を書いたのがこの記事である。
無理やりたくさん書こうとするのではなく、書こうと思ったことだけを書こうと少し反省したので、ここで終わりじゃ。
これについて考えていた。
平等。
俺がキモいって思ったからキモいって言った。
公共の場所でキモいって言うのはトラブルを起こしかねない。トラブルを起こすのは公共良俗に反する。
だからプライベートなテリトリー(自分のアカウント)でキモいと言う。
それを踏み込んで来てイチャモンつけるのは何様のつもりだ、インターネットにおいては互いに平等である。
公共の場でキモい格好をし、周りがそのキモい格好の人に"キモい人への対処"を行う。
これは互いに平等だからだ。
キモい格好をして公共の場に出るのは個人の自由。
なのでキモい格好をして公共の場に出てきた人にキモい人への対処という行動をするのも個人の自由。
民主主義なので、その場にいる"キモい"人が"キモい"と思ってる人より目に見えて少なければ、排除やむなしである。
10月31日前後の週末で、コスプレして渋谷に行き、騒音やゴミをバラマいて帰っていく"キモい"連中がいる。
その日に限って言えば現地の住民よりも"キモい"連中が多い。
であれば逆転現象が起こり、抗議の声を上げる現地住民の方が"空気が読めないキモい奴"になる。
つまり10月31日前後、以外であれば、コスプレしてゴミと騒音をばらまくやつは「迷惑だから"キモい"」、だから排除するが、10月31日前後はコスプレしてゴミと騒音をばらまかない奴は「空気が読めないから"キモい"」、だから排除する。
平等とは、人数の多さで変わるのかもしれない。
ネット上の人数とは、声を上げている人数だ。労働力をつぎ込めば、サブ垢で数人分を代弁できる。しかし、発信する"人間"と認められるには、普段からの発信が大事になる。
サブ垢である以上、このアカウントは普段人間が入っていないと思われてしまう事がある。
だからtwitterのフォロワーが多いアカウントが高値で売買されるんだな、という思いが出てくる。
実力だけでフォロワー獲得できるアカウントは少ない。
でもフォロワーを増やす方法は簡単だ多くのアカウントは他人のふんどしで相撲を取りつつ、フォロバの営業、すなわちフォローするという承認をバラマキ、フォロワーを増やしていく。
数万数十万の人を片っ端からフォローし、パクツイしまくる。
それだけで"メディア"が完成する。
そして頻度を下げ、黙れば、気づけば消えた扱いになる。
消えた存在になれば簡単だ、売ればいい。売られた相手がそのアカウントを活用する。いきなりTLに湧き出る見慣れない人物でも良し、ツイートの傾向が変わるのもよし、なりすますもよし。
なにを話していたのか忘れた。
そうそう、平等だ。
もともとの平等はお互いに同じ武器を使うことである。しかし現在使われる平等は相手を否定しつつ、相手が同じ武器を使うと感情論で否定する、ヒステリック型が多い気がする。
本物の平等は痛い
行動するコツとして、現在進行系と過去形のみを使っおうと思ったので、使っている。
明日やろうは馬鹿野郎と言われるように、これをやろうあれをやろうと願望をふくらませると、願望が風船となってどこかに飛んでいきます。
そしてそれが意味することは行動の失敗です。
僕は昨日ハースストーン引退すると言って、ご飯に行った後、深夜1時までハースストーンをしてしまった。
だから、ハースストーンやめた。 と今日は自分に言い聞かせている。
と同時に、ハースストーンしたくなったらブログ書く、宿題やる、最近見つけて買った風水を熟す。
という代替行為を設定して、今ブログを書いている。
ジョジョの5部だっけか、ぶっ殺すは使うな、ぶっ殺したなら使っても良い。みたいな話があって、それが超かっこいいと思ってたんで、日常でもよく他人に使っていたんですけど、自分が使えてないなと気づきました。言われて
恥ずかしい。
そう思って二度と使わないように記憶の奥底にしまい込んだ。
それが数年前
掘り出した。そうか、これだ。って思いながら。
ぶっ殺す、ぶっ殺してやる、これらは予告。外すとかっこ悪いし、よく外れる。
ぶっ殺した。は過去形。達成、終了、報告、事実確認、みたいな。
って言う風に書いてて気づく。なるほど、子供の頃に読んだ三国志の趙雲のことだな。と。
ここから書くのはうろ覚えで子供の頃に読んだ三国志の話です。
趙雲は曹操の陣地で武将首50だか60くらいとって、劉備の赤ん坊助け出した化け物で、年老いてもなお強い。
なぜうまく行ったのかを考えた際、理由の一つとして、弱そうで、名前も知らないから、侮られる。でも思いの外に力が大きく、並の武将はそこで死ぬ。名のしれてる強い武将相手でも、地理の差を生かしつつ、心理戦と賭けを仕掛けて打ち倒す。どうせ生き延びれない、であれば命を賭けよう、という覚悟がうまくいきまくった結果だ。
必殺技はあるが、生涯で1回半しか使っていないから必殺技を見たのはほとんどいない。(というか必殺技を使う必要がなかったとも言う)
殺す、と言って殺しそこねたことはほとんどない。殺ったと言った時、必ず相手に大怪我させるか、死に至らせた。
曹操の陣地で大暴れした時、劉備の奥さんを守ってた兵士の願いを叶え唯一の弟子にした。
曹操の陣地で殺しまくった時、殺された武将は当時名のしれた超強い武将ばかりだったのに、趙雲が凄すぎて嘘にしか聞こえず、趙雲にやられた人を十把一絡げにされてしまった。
苫米地英人さんを調べるとすごい肩書多すぎて胡散臭い、嘘つきでは? と思えるのと同じ現象である。
趙雲の扱いは超雑で、明らかに趙雲とかち合わなければ超強敵になってたのに、みんな趙雲にやられると雑魚に見えてしまう現象が起きる。ふざけてる。趙雲と戦った武将はほとんど後世に名が残らない。三國無双とかで出てくるけどモブ顔だし、ステータスも低い。
強くてもだ。強くても趙雲と戦うとモブにされる。趙雲強すぎて
youtubeで熟練の職人の仕事を見てみると良い、簡単そうに見える。やればそうでもないけど
そういうことだ
趙雲は凄すぎて凄くない様に見えてしまう程凄く、劉備と義兄弟の契を結んでいないものの、劉備カルテットに入れられてたし、劉備の子供を助けた時は劉備自身がお前は俺の弟だ(意訳)と言い出して膝枕したらしい。
そんで劉備も趙雲大好きすぎるからあんまり戦場出さなかったとか。
趙雲は相手が弱く見える程強すぎて、頭も実際めちゃくちゃよかった。
でも目立たない。しかも侮られがち。そして侮られを利用して瞬殺する。
理想だ。
まぁ思い出話は置いといて、この記事の目的は何だっけ、そうそう、行動するコツとして、未来系を放棄するといいですよって話です。
それだけ。
やりたいと思ったらやる。いつやるとか決めない、すぐやる。すぐ出来ないなら、やる順番のキューに入れる。暇ができた瞬間にやる。そうする以上未来系は存在しない。なぜなら確定事項だから。実行が確定されている。
って言う過程を完全にできれば、周りから行動力があると称される様になる。
過程の先に結果がある。結果から過程を逆算し、過程を再現し、予想通りの結果に向かう。
それが結果が全て、の自分解釈
おしまい
一昨日くらいからハースストーン始めて、アドベンチャーモードやりまくり、気づいたらこの時間になっていた。
生活に支障をきたすゲーム障害になっている上、現実に応用できるノウハウが全く得られない。
デッキを改造したいと思いつつも次のゲームを猿のように無限に続けてしまうため、これで最後って決めて、ゲームを止めた。そんでしばらくして、今ブログ書きながら思い出した、ようやくデッキ改造に成功した。
自制心の低さに我ながら驚く。というよりもハマれるんだなと言う再認識。
ゲームはハマれるのに、他ではハマれないのはなぜだろうか。
それはゲームのスパンの短さと、敗北あるいは勝利というフィードバックが断続的に与えられ、それが麻薬の様にキマるからだろうか。
そういえば自分は思考を長らく止めていて、思考をしない生活が楽になっていたと今気づく。
これからは思考の時間を取り、瞑想の時間を取り、本分に取り掛かろうと思った。
ゲームは面白いが、rain world縛りにしようと思う。
rain worldクリアするまでゲームしないみたいな。
あとはアウトプットのためにも牛の様に飲み込み咀嚼し4つの胃
ために疑問を探す。ふしぎ発見ならぬ疑問発見だ。
とはいえすることは簡単で、身の回りのものすべてが"商品"である。であればそこから"なんで?"を広げれば良い。
ということがわかっててやろうとは思わないのは、やったことがないからだろう。
まずは正露丸あたりか?
って考えた際、フッとよぎるプロセス、そしてそのプロセスを成してまで得られた結果に自分は割に合うのだろうか。
と考えてしまう自分に気づく。
おそらくいこれが自分のめんどくさいとやりたくないの原因の一つなんだろうなぁと思いつつ、ブログ1日4記事書くだけのインプットをする必要性があるとして、どうすれば良いんだろうか。と思考がそれる。
本分にとりかかり、それについて書くのが正解ではなかろうか。そうかもしれない。
であればまず1つ書いてみよう。そう思いながら飯に行く自分であった。
