今日は日本で最後の斬首刑が執行された日ということで
明治の毒婦で有名な高橋お伝について書いていきたいと思います
高橋お伝(たかはし おでん)
高橋お伝は現在の群馬県で高橋勘左衛門の娘として生まれます。
ですが、母親がすぐに亡くなってしまいます。
お伝は14歳の若さで養女となり、結婚しますが幸せな暮らしが訪れることもなく離婚します。
そして19歳の時、高橋波之助と結婚します。今度は夫婦仲が良く、順風満帆な生活を送っていました。
高橋お伝の写真 (画像は、明治ガイドHPからお借りしました)
そんなこともつかの間、波之助が当時不治の病と呼ばれたハンセン病にかかってしまいます。
その後二人は異母姉のかねがいる横浜に身を寄せ、治療費を稼ぐために必死で働きました。
しかし波之助は息を引き取り、間もなくしてかねも死んでしまいます。
このとについてはかねの夫後藤吉蔵がお伝を手に入れるために毒を使って波之助を殺したという
一説もあります。
やがて色男でやくざであった小川市太郎と同棲を始めますがうまく生活が続かなくなりました。
そこで、金貸しだったかねの夫後藤吉蔵に金を貸してくれと頼みますが、断固として聞いてくれません。
なので怒りが暴発したお伝は二度寝する吉蔵を剃刀で殺してしまいます。
そしてお伝は逮捕され、市ヶ谷監獄にて斬首されます。
最後に思ったことは高橋お伝の悪女ぶりがあったことか
仮名垣魯文の「高橋阿伝夜刃譚」のモデルとなったり、昭和になるとお伝の映画も
何本か作られたりしているので、昭和当時は悪女としては人気があったのではないかと思います。