「本当は『ごめん』って言いたかった」(内田裕士)の一文です。


誰かに謝るシチュエーションを考えると


本当に心から「ごめんなさい」を言うってことは稀で


環境に言わされることの方が多い気がします。


仕事だったり、


子育てだったり、


家族だったり、


自分の心から反省をして謝れる人の方が少ないんだと思っています。


仕事で


「申し訳ありませんでした」


の後につくのは


「(自分は悪くないんだけど•••場を納めるために形だけ謝罪しておこう)」


な気がします。


本来、人間は自分勝手な生き物である一方、社会動物なため相手との摩擦を好みません。


これは脳で考える力を得た代わりに


自分1人では生きていけないように十字架を背負わされたんでしょう。


そこで人間は必死になって考えて


『ごめん』


を見つけた。


これは


生存本能


とも言えるのかもしれない。


地球で我が物顔で生きている人間が1番恐れているのが、


同種の『人間』という生き物だから。


だからこそ、


生きるために使う言葉が自分に染み込んでいく。


言わされるマイナスな気持ちを何度も言うと


自分が本当に悪いように感じるし


そんな環境に居たくないと考えてしまう。


視界が狭まる。


嫌なことにフォーカスをして


良いことまで見えにくくなってしまう。


今日で「ごめん」の使い方を見直そう。


場を納めるために使う謝罪ではなく


目の前の相手とどういう関係で居たいのか考えよう。


本当に嫌なら離れたらいい。


関係を変えることは逃げではない。


本来の自分を出せない苦しい場を教えてくれたということだから。


謝るシチュエーションは


実は自分にとって大切な場面であることが多い。


自分が何を大切にしているかに気づけるから✨


そして、


その時に1番に気づくのが


『自分を大切にしたい』


ってこと。


どんなに色々な人と出会っても


産まれて来たときも


死ぬときも


自分1人。


人の顔色を伺う『ごめん』は自然じゃない。


“人工”の


誰かが“作った”


こうある“べき”


でしかない。


そんな自分で居たことを


自分に謝りたいと思う。


きっと皆んなが自分に謝れたら


きっと皆んなが周りに優しくできる


そんな社会になればいいな♪♪


#本当はごめんって言いたかった

#内田裕士


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明日、品川にてリアル講演会。


リアルだからこそ体験できないものが


あるかもしれない。


そう思って新幹線に乗っている。


何もしなければ


何も変わらない。


変わろうと思うなら


動いてみるしかない。


人は「そんなの行ってどうなるの?」と聞く。


何もないかもしれない。


お金だけかかるかもしれない。


時間の無駄だって感じるのかもしれない。


感じ方は人それぞれだ。


でも、


明日の講演会で


『人生が変わった✨』


という人が現れるかもしれない。


一生に一度の体験かもしれない。


そして、


それが“あなた”かもしれないのは


言うまでもない。


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本もオススメ📕


『ブックランドフレンズ』