「漢字の気持ち」(高橋政巳、伊東ひとみ)の一文です。


先日、「無駄」について考える機会がありました。


時間の無駄•••

お金の無駄•••

無駄な努力•••


などなど、何か行動をしてもそのかいが無いことと辞書に書いてありました。


何かをしても目的が達成できなかったとも言えるでしょうか。


辞書を読んでいて思ったのが


この「無駄」って全部過去形なんですよね。


何かをした結果、思っていた成果を得られなかった人の感想なんです。


無駄かどうかはやってみないと分からない。


なので本来前もって


そんなことやるのは無駄だと決めつけるのはおかしな話しです。


以前に同じような行動をした人たちの統計を取るとなかなか報われない結果が出やすいよねって話しです。


さぁ、これをどう捉えるか。


これが自分の感性の部分です。


例えば、読書が続かない人に読書の良さを薦めても


「(過去の自分を考えると)どうせ読めないからいい」


となる。


過去の自分のデータを見ると同じような結果になると予想できる。


だから、やらない。


となる。


皆んな過去の結果だけで判断しちゃうんですよね。


結果を踏まえて、振り返りをして、改善するためにどうするか?を考えるプロセスを持つとまた違う選択肢が出てくる気がします。


そこに『自己成長』というエッセンスが入ってくると、どんな行動も必要なものだったに変化します。


どんなに悪手を打っても


どんなに失敗をしても


生きてさへいれば


成長の過程になるんです。


とすれば、


どんな出来事も無駄じゃないと思えれば


仕事が忙しくても


家事に追われても


誰かとケンカしても


あぁ、これを糧に自分は成長できる🌱


と気持ちを明日に向けられます。


大きな無駄を感じたことがある人は


その無駄を知れたら他の小さな無駄くらい大したことないと感じられるんじゃないでしょうかw


「あの時の無駄に比べたら軽いもんだよ♪♪」


そんな気持ちがある人は素敵だと思います✨


この本では無駄の


『無』について書かれていました。


古代の人たちは、舞を始めようと足を出す直前の姿とその境地を見て


『無』


と表現したそうです。


凛とした無心こそが


無の境地だと。


無駄なことと感じることは確かにあるかもしれないけれど、


行動している中で1番


『無の境地』


に近づいている瞬間だと考えれば


こんなに尊い行為はないのかも。


無駄な中にこそあるもの✨


そんなものを見つけていける大人になりたい✨


#漢字の気持ち

#高橋政巳

#伊東ひとみ


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「無駄なことなんてない」と教えてくれる本屋さん


『ブックランドフレンズ』