2025年は一度もブログを書けないまま終わってしまいました![]()
様々な人生の転機が重なり、私にとって2025年は近年稀に見る、と言える位疲れ切った
一年でした。
2026年、今年はどのような年になるでしょうか。世界中で行われている戦争の一つでも終結する事を心から願っています![]()
自分への記録の為にもブログを書きたかったのですが、本当に無理でした。現在こちらの時間で午前12時過ぎ、家族が寝静まった後ようやく時間が取れました。普段はこの時間に仕事をしています![]()
2024年の7月に第二子目指して2回目の移植をして、その1ヶ月後位にブログを書いたきりになってしまいました。
あの後無事妊娠が継続でき、2025年春に計画帝王切開の二週間前に緊急帝王切開にて何とか第二子を出産する事が出来ました。
妊娠中の経過に関しては、基本的に第一子と似た感じでしたが、やはり一度経験している事なので精神的に余裕はあったように感じます。
つわりは前回と同様、胃がムカムカする、軽い二日酔いみたいな気持ちの悪さ、胃もたれする、と言う状態が主で、実際に戻してしまう、と言うような事は一度もありませんでした。ただ前回よりは胃もたれが長く続いた感じで、胃もたれようのアメリカの市販薬Tumsを出産間際まで愛用しました(日本の薬には無い色合いです)。
胎児の大きさはずっと週数に見合った感じだと言われていたと思いますが、少し早めに生まれてきたのもあり、予想よりも(エコー検査で測るには精度に限界があるそうです)小さめでしたが、未熟児ではありませんでした。
前回突然の事でとても動揺した妊娠糖尿病に関してですが、出産後直ったもののその後の育児で寝不足、疲労困憊の中母乳量を増やそうと普段より無理して炭水化物・糖分を取って動かずに寝る生活が悪かったのか、血糖値が上がってしまい見事糖尿病予備軍になってしまいました(確かA1C 5.9とかだったかと)。
その後食後に血糖値を測っても確かに理想より高かったり、下りが悪かったりで、自分の体は血糖値をコントロールする機能が疲弊しているのだなと感じました。ここでは詳細は割愛しますが、長年の生活習慣と高齢での不妊治療が体にダメージを与えているのだと思います。
その後食事を改善して食後に歩くなどするようにしてA1Cは改善し、医学的には糖尿病予備軍とは言えないのですが、自分はそう言う体質だと思って現在も生活しています。
話が逸れましたが、妊娠中医者には前回同様糖尿病の検査をするよう勧められましたが、断固として拒否し
(あの激甘の液体を飲まされるのが苦痛で。。。)、食事制限と家での定期的な血糖値検査(指から血を取る検査)をする事を約束し、正式には病名は付けられないままで終わりました。私は妊娠中食欲が湧かなくなるので、ただでさえ食べたい物が少ない中の食事制限は結構辛く、中々体重が増えませんでした。恐らくそれもあって胎児が小さめだったのだろうと思います。
正直そこまで真面目に最初から最後まで測っていた訳ではないので正確な事は分からないのですが、恐らく今回は結構後になるまで妊娠糖尿病にはならず、最後の方で血糖値が上がるようになってしまった感じでした。血糖値検査機は結局3つ用意したのですが、示す数値がバラバラで、本当に正しいのかどうか分からない数字に一喜一憂するのもどうかなと思って、出産間際は測りませんでした(その時点で胎児がすごく大きいなど、糖尿病の影響がありそうな事はありませんでした)。
正式な妊娠糖尿病の病名がつかなかったのもあるのか、今回は出産前1ヶ月は週1の通院で済みました。前回は週2で通わないといけなくて大変でした。
あと、これは一般的ではないと思いますが、私は前回も耳が聞こえ難くなる症状(水中で音を聞いてる感じ)が出て、専門の先生にも見てもらいましたがなす術がなく、非常に不愉快でしたが、今回もこれはありました。 出産するとすぐ治ります。
息苦しさや疲れは前回と似たようなものでしたが、前回は何故かガスが出ずお腹が常に張って(膨張して)非常に不愉快だったのですが、幸い今回はこれがなかったので、概して前回よりは順調でした。
でも3歳児を育てながら、オフィスで仕事をしながらの妊娠だったので、楽では全くなかったです
。
経過について長くなりましたが、結局人生最後の妊娠期間を楽しむ余裕はないまま、予定よりも二週間早く生まれました。
あまりに体が辛くてこの時期にオフィスの仕事を辞めたので、最後少しはゆっくりしようと思ったのに、出産前にするべき事を全て終わらせた翌朝に陣痛が来ました![]()
結局そのまま入院して、緊急帝王切開にてその日の夜に出産しました。
が、前回とは違う理由で今回も大量出血
前回が3ユニットで今回は4ユニットの輸血(増えてます。。。
)
もし私がもう少し若かったとしても、私の体ではもうこれ以上の出産は無理だなとつくづく感じました。
正常胚はまだ二つありますが、残念ながら私達がこの卵たちを使う事はありません。
今回陣痛が来たので、下から産む事も検討してもらえたのですが、残念ながら4時間位待っても子宮口が6センチ程度から広がらず、赤ちゃんも下がって来なかった為、その前に破水の処理をしていたのもあり、これ以上待っても良くないとの事で先生の勧めに従いました。
40歳を過ぎてからようやく意識した妊活。あの時すぐトライしていたら、、、など後悔は沢山ありますが、自分にとってはこれが必要な試練だったのだろうと思います。
それに例え遺伝子は残せずとも、5体満足な子供二人の母親になる事が出来た事に心からの感謝をしています。
私に取っては基本辛いことばかりだった不妊治療、40代最後で漸く卒業する事が出来ました。この経験はしなくて済むなら本当にしたくなかったけど、色々な意味で自業自得と自覚しているので、やはり仕方がなかったと納得しています。
皆さんのブログを読ませて頂いていると、私よりもずっと長く継続的に治療をされている方もいますので、私は特に長い訳でもないのかもしれないですが、私にとっては通算約10年子供を持つ事にかなりのエネルギーを費やし、お金も使ったし本当に疲れました。
本当に辛い事、嫌なことが多かったけれど、自分の体を酷使してここまで頑張った自分を、褒めてあげたいと思います。
私は育児ブログは書くつもりはないですが、今後は時間が取れたら不妊治療に関係する事やアメリカの時事などについて書いていきたいなと考えています。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました![]()

