WISC-Ⅲの結果を物的証拠に使った、と半ば自己批判的に書いたけれど、
正しい使い方でもあるとも思ってます。
WISC検査の結果の数値は、簡単に言うところの偏差値。
同年同学年の集団が、今どのくらいの知識量、思考力、処理能力を持っていますよ、と言う統計をもとに、テストを受けた子はどのくらいのところにいるのかな、
ということが数値で出る。(平均値が100になる)
これはその子を知らない人にとって、とっても説得力のある資料になります。
私が最初のWISC検査で思っていたのは
「こんなに育てづらいのだから、何らかの理由があるとの結果がほしい」
という思いと、
「今までのことは偶然の積み重ねや一時的なもので、標準値であってほしい、
何よりこの子のために」
という相反する思いでまさに心中スペクトラムでした。
結果の紙を見た瞬間、あーこれでもう一人慰めツッコミ
「何でこの子こんなことするの!?ヘン過ぎない??」
「イヤイヤ、子供だし変わっていくでしょ、個性でしょう・・・」みたいなの
しなくてもいいんだーーという、今までの形のない不安の終息と
はっきりと形に出た新しい不安との対峙に、正直震えました。
折れ線グラフの角の鋭角すぎるのや、地獄絵図の検査経緯を思い出すから、
いっときはお蔵入りにしたいとも思ったこの結果の紙は、
その後多くのボンボンの療育に関わってくれた人々に、
名刺のようにコピーして渡すことになりました。
一見して、「辛いねえ」と共感してもらえる免罪符として長らく機能しました。
めちゃくちゃ辛い経験も、きっとあとでいいふうになる。
あんまり根拠はないけれど、発達障害の子を何年か育てて、
こういう風に思うことは多いです。
本人の心に消えない傷が残らないように、盾になり、緩衝材になり、
母親のみなさん頑張りましょう。
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