フジテレビの「笑っていいとも」と、たけし、さんまが

レギュラーの伝説的なバラエティ「オレたちひょうきん族」

二つの看板番組の生みの親で、初代プロデューサー

の故・横澤彪さんと、仕事の関係でニ度ほどお会いし、

いろいろお話を聞かせて頂き、また会社に公演にも

お招きしたことがある。


横澤さんの革新的なところは、、「シナリオ・台本通

りに進行する」それまでの番組の常識をうち破り、

場面場面でのハプニング、アドリブをバラエティ

作りの柱にしたところだろう。

「いいとも」のテレフォン・ショッキングは計算外の

出来事が度々あった。「ひょうきん族」では、

予定時間を無視して、何度もテイクを繰り返し、

最後には、出演者みんなが疲れ切ってヤケクソで、

シナリオの原型をとどめない、混沌の極致の内容

の収録を採用して、予期せぬ笑いを作り出した。


「『笑っていいとも』開始時期のフジテレビは、

主力番組の視聴率の不振で、危機的状況でした。

そんな時に『いいとも』の企画を提案した時、

経営幹部から『いま笑ってる場合か』と批判を

浴びました。

私は、これまでの延長線上での番組作りでは、

『バラエティのフジ』の復権は無い、こんな時こそ

逆転の発想での革新が求められる、と主張しました。」

と横澤氏は述懐されていた。


私は、会社で開催した氏の公演を、

「モノづくりの現場ではサラリーマンであることを忘れろ!」

とのタイトルにした。