つい先日佐賀の教i区ii長→九州地区の地区長に昇進されたばかりのパク地i区i長が礼拝に来てくださいました。
み言の中で、祝福の尊さについて語られていました。
「この世でその価値が分からなければ、霊界に行けば分かる、でも行った時は遅い。」
と、ユーモラスに笑いを込めて話されていました。
私も笑いましたが、よく考えてみるととてもインパクトの強い言葉ですね。
霊界に行った時は、もう遅いのですから。
祝福は、簡単に得られるものではないですが、その価値は私達凡人には、大きすぎて見えない。
まるで、ゾウの背中の中にいる小さなノミのようです。
日々生きていたら、日常の中で、その価値が段々ずれていってしまっている私の心を感じます。
堕落人間の心は、変わりやすいものです。
だから、時々み言に立ち返らないといけない。
文先生は、膨大な数のみ言葉を遺して逝かれました。
何回も聞いてるはずなのに、その度に新鮮に聞こえるみ言...。
うん、確かに。脳が退化して忘れてる(゚∀゚)☆。
ここは、前向きに開き直って、新鮮に受け止めていこうではないですか!ヽ(゚∀゚)ノ!よし!
霊界のすみずみまで、ここまで解明している宗教は無いですから、せっかくですから、しっかり霊界を学んで、天国人となれるように生きたいものです。
どこまでも前向きに、打たれてもまた這い上がって、サタンのジャブ、フック、ストレートをうまくかわして。
み言を求めて、文先生の生き様を慕いながら。
「振り返れば、全て愛だった...。」
(すべての試練を乗り越えられた文先生のみ言。)
使命を成し遂げて、しみじみと、そう言える日が、霊界に逝く日までに来ると良いなと思うBird なのでした。
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