ありのまま | NIKKA-BOKKA 

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子育ち講座を修了した母親の実践や気づきを綴っています

6月27日(木)

 

昔から、母親のことがちょっと苦手で。

それなりに尊敬も、感謝もしているつもりだけれど、

ずっと一緒にいるとしんどくて。

3日以上いるともう無理で限界で。苦笑

 

子どもの頃、なかなか甘えられなかったんです。

イヤて言わんとよ!

泣いたらでけん!

母は、私のありのままを撥水加工の傘みたいに弾き返して。

「あーあー、もうわがまま言わんとよ。」とあきれ顔で。

「たったそいだけのことで泣いてから。ふん・・・。」とうらめしそうに。

母が私を見る目はいつも厳しくて、硬くて、冷ややかでした。

(と、その時の私は勝手にそう解釈していた)

 

なので、ずっとどこかで自分の母親を否定してきたのかもしれなくて。

だからなのか、私は私をずっと否定していて。

ずっとねちねち心のなかで母親を責めてきたのかもしれなくて。

だからなのか、私は私をいつも責めていて。

ずっとこっそりと母親を嫌ってきた自覚があって。

だからなのか、私は私をずっと好きになれなくて。

 

そんな根の腐った私が運よくいっちょまえに結婚して、

死産をして、その後二人の子を授かる流れのなかで、

自分から探し当てたのではなく、たまたま出会った人のつながりから

25、6年前、子育ち理論に出会ったのでした。

 

「我が子のありのままを受け止める」という実践。

自分のことさえ受け止められずにいる私が、

我が子のありのままを受け止めるなんてできるんだろうか・・・

当初、理論を聴いただけでは、壁が厚すぎるように感じいきなり萎えました。

でも、その実践は「まねで返す」というシンプルな方法でした。

「お子さんが言うことをそのまままねで返してみてください」

 

でも、そのシンプルな実践が私にはすぐできなかったんです。

まったくまねで返せなかった。なんで?と思うほどに。

全然まねで返せてないじゃーん!遠藤ツッコミも受けまくりでした。

イヤだという子に、「いやだね~。」が返せない。

目の前で泣く子に、「泣かないの!」とつい言ってしまう。

私は、無意識に自分の母親からされたように我が子を育てていた、

そのことに気がついてハッとしたのでした。

きっと母親だけの影響ではなかろうとも思います。

受けてきた教育もそこを強化する教えが多かったと。

 

でももう内心うんざりだったんです。

自分のほんとうの気持ちを抑えながら生きるのが。

すごく不安だったんです。

こんな自分に母親が務まり、子を育てられるのかと。

なのに、結局おんなじことを我が子にきつくしつけようとしている自分。

いや、できればそれはもうやめにしたい。

だから、私は決めたのでした。「やってみよう!」と。

子の言葉にまねで返せないと思っていても、意識して返してみようと。

最初はぎこちなかったけれど、まねで返してみたのでした。

なんだかそれが、ふっと風船に最初の息が入ったように嬉しかったんです。

 

子がイヤだと言っている、「いやだね~」と返したら、

あ、イヤと言っている我が子がいるだけだなと思いました。

子がイヤだと言っている、以上!(笑)それだけが見えたのでした。

そこに良い悪いというジャッジなんてないし、

そんなものはいらないんだと思いました。

 

泣いている我が子がいる。

ああ、泣いているんだな~、泣きたいんだな~って

我が子の泣く姿を自分の中でまねで返していたら、

いいよ泣いて、泣きたいんだもんね・・・と私の心が呟きました。

泣くことそのものに、良いも悪いもないんだって思ったんです。

そうジャッジしているのはそれを見ている側の勝手な解釈なんだと。

 

そうやって子にまねで返すという実践は、次第に私に心地よさをくれました。

私が自分の母親にそうして欲しかったに、私自身が今応えている気がして。

自分の母親に跳ね返されて、感情を出すことをあきらめ閉ざしてしまっていた

私のカチコチ硬い心が少しずつほぐされていくようでした。

 

感情を出すことは、「今」の現われ。

子が泣く、でもずーっと一生泣いてるわけじゃない。

子が怒る、でもずーっと一生怒ってるわけじゃない。

「今」たまたまそう現れているだけで、その先はわからない。また変わる。

雲のように、現れてはそのうち消える、流れていく、そしてまた現れる。

天気のように雨の日があれば、晴れの日もある、嵐の日もある。

いろんな日があるように、人間にもいろんな状態がある。

そう思ったら、なーんだ!っと急に気が楽になったのでした。

 

「母親も情動を出していいんですよ」

いつの頃からか、遠藤さんがそう言われるようになりました。

でも、私はそれが下手くそで。

出すんじゃない!と言われて育ってるから、出し方がわからなくて。

そう、私はそうとう重症な感情便秘だったんだなと振り返って思います。

(感情便秘?勝手に湧いてきた造語です (^^ゞ)

 

そして、私の母親も、強烈な感情便秘で生きてきた人でした。

私が大人になってから、じっくり彼女の生い立ちを聴く中で、

あらためてそうだったんだ・・・だからか・・・と思いました。

 

でも、それはそれで、そうするしかない環境で生きてきたんですよね。

そうやってでも、これまでを生きてきたんだねと思うと、

母から産まれ、大人になって、親にもなった私は、

そんな母に対して以前のような勝手な解釈からの否定はなくなり、

よくやってきましたね、そんなあなたが生きてきた先に私も生きていますと

尊い感謝がどこからともなくわいてくるのでした。

 

そして・・・ありのままにいられなかったと思ってきた私自身のことも、

その時のそれが、そうとしか現れようのない私のありのままだったんじゃないのかな。

そう受け止めて認めると、母のことも自分のことも、

なんだかふっと軽くなって、い~い感じに思えてくるのでした。

 

ありのままって、どこまでいってもありのまま・・・なんだなぁ~~~

 

 

は!

 

♪ありのままに生きようとしたアリは、

 

 ありのままに生きようとしたアリは、

 

 ありのままに生きようとしたアリは、

 

 ありのままに生きようとしたアリはーーー!!!

 

 アリのままだった・・・ ♪

 

なぜ、今 思い出した?(笑)

 

↑古過ぎる 謎過ぎる終わり方でしつれい (^^ゞ