オンラインA講座、お疲れさまでした~ | NIKKA-BOKKA 

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子育ち講座を修了した母親の実践や気づきを綴っています

6月5日(水)

 

一昨日は、子育ちオンラインA講座の日でした。

今年度は子育ち理論を周りに伝えていきたい方や

再度理論の復習を兼ねて聴講したい方が対象とのこと。

私も古株ながら参加をさせていただきました。

途中急用が入ってしまい退室したので、後半のお話が聴けずに残念でしたが、

遠藤さんの遠藤節健在なご様子と、

そこに皆さんの時々頷きながら聴かれる姿やクスクスっと笑われてるお顔が見えて、

ここまでずっと続いてきた子育ち講座の魅力をあらためて感じられたひと時でした。

 

子育ちと子育ての両方あって子育ち、

子と親とコラボレーション、共同作業しながらやってく子育ち、

そんなお話を聴きながら・・・

この子育ち講座も、理論を立てる遠藤さんと実践者の私達の両方あるから

こうして続いているのかもしれませんね。

理論と実践その両方を知り、実際にやってみながら微調整しながら

我が家の子育ちとしてバランスをとっていく、

それくらいがやっぱりちょうどいいんだろうな・・・

そんなことを思いながら聴いていました。

 

途中のお話で、子育ちで育つと、思春期でもたくさんしゃべる?

いやいや、そこは親の気質、子の気質、それぞれの関係性があるでしょうし、

おとなしい子はおとなしいし、しゃべらない子はしゃべんなくたって、

それはそれでいいと思ってる親子関係ならばいいんじゃないのって思うし。

たくさんじゃなく、ごく普通に必要に応じてって感じの子もいるしなって。

うーん、子育ちをやってるとこういう子になるっていう結果の部分は

遠藤さん(理論側)の嬉しいご報告くらいに聴いといてもらって(苦笑)

こちらは(実践側)は、やってみてうちの子はどうなるんだろうなって、

結果を決めつけずにやる方がいいんじゃないかって、

その方がやってて楽しいべ?って思います。

我が子のありのままを受け止めるって、そういうことでもあるって思うし、

だから当然、発達理論にもなりようがないよね、子育ちって・・・。

 

ついついね、ブログとかお便りで自分の子育ち実践を発信されたものが、

そのまま実践結果の代表みたいになったり、資料になったりしてしまうんだけれど。

いや、あの、実践者としてもちろん感じたこと気づいたこと偽りなく書いてはいるけれど、

他にもいろんなことを感じた実践が、表に文章として出てないだけでいっぱいあるはずで。

講座の資料に私のブログ文章がやたらに使われているのを見て、

やっぱコレはいかんて!まずいって!は、吐くって!(笑)

 

みなさん、新しい実践をもっといろいろ報告してくださいまし。

お子さんが育つ過程でいろんな気づきってあると思うんです。

以前はピンとこなかった理論が、最近バチっとつながって、

こんなことがあって、こんな物語がうまれて・・・って

きっとあるはずです、それをアウトプットしてみてください。

遠藤さんにとってはそれが理論という骨組みの肉付けにこれからもなっていくし、

いつか自分も身近な周りに子育ち理論を伝えたいって思っている方は、

自分の実践を自分の言葉でアウトプットすることで、伝える練習にもなります。

もう、こういう古いオバサンの報告じゃなくてね、

今まさにやってみました的なフレッシュなの頼むーっ!(泣)

 

ちょっと長くなりそうだけど、もう少し書きます。

昔、私が受講をした頃、遠藤さんからよく突っ込まれたのは、

子を「決めつけないで」でした。

子のことはわからない。だからまねで返すんですと。

まねで返すことで、その子のありのままを受け止めようとする、

「受け止める」までいかなくていいから、受け止めようとまねで返してみる。

例えば「幼稚園行きたくない。」と子が言ったら、

「幼稚園行きたくないね~。」とまねで返してみる。

すると、その「行きたくない」と言っている我が子がほんの少しわかるような気がする。

その程度でいいんです、我が子のありのままを受け止めるって・・・と。

 

そう、それで実際にやってみてわかったのは、

「幼稚園に行きたくない」

「○○したくない」をすぐにそうだと決めつけてしまわずともよいのだという感覚でした。

とりあえず、まねで返してみる。

「幼稚園行きたくないんだね~。」って。

そこから先に現れる我が子は、必ずしもそうだとは決まってないんだと。

 

実際ほんとうに幼稚園に行かないのかというと、

何度かまねで返しているうちに、時間になると黙って玄関で靴を履き始めたり、

バス停で待ってるギリギリまで泣いて「行かない」と叫んでた子が、

バスが来たとたんにすっと泣き止んでバスに乗り「いってきまーす」と手を振った、

なんていう我が子の物語を語るお母さんが次々と現れるわけです。

もちろん、ほんとうに行かない!って日もあるけれど、

そういう時は何かしらいつもと違う体調や出来事が裏に隠れていました。

 

「幼稚園に行きたくない」そう思ったのは嘘じゃない。

その時そう思って言ったんだけれど、その気持ちを受け止めてもらうと

なんだか別に行ってもいいんじゃないかって気がしてくるというのかな、

何かしらそこに子が育とうとする姿があるような気がして・・・ね。

実践しながら、あぁ、こういう間(ま)って必要だなって。

子がなんとか育とうと揺らいでいる時に、

勝手に焦ってこっちだよね?って親が決めちゃわずに、

ただまねで返すってことで様子を見守ってみるって、

せっかちで、勝手にこうだ!ってさっさと判断したい私にとって、とても助けになったんです。

ちょっと間を持つことで、その先を子が選んで決めて動いていく姿が現れようとする。

イヤだけど、しょうがねぇなってやり出す時もあるし、

イヤなもんはイヤなんだと今はやらないを決めたり、

途中まで頑張ってみて「ムリ」ってあっさり白旗を上げたりもする。

いろいろ上手くいかない失敗も含めて、

子はいつも同じところには居なくって、ずっとそこには居なくって、

常に揺らぎながら育とう育とうともがく、笑う、泣く、怒る、哀しむ。

そのどれもが我が子で、やっぱり決めつけられやしない。

そこに母親の私も関心を持たずにはいられず、日々心動かされ、

子と暮らすことの楽しさ嬉しさ面白さに、親という体験も悪くないと励まされながら、

我が子の物語を見つけてきたように思います。
 

理論って、耳だけで長時間聴いてるとどうしても流れてってしまいますよね。

放っておくとそのうち忘れてしまうし、そのうち何もなかったことになってたりして。苦笑

でも、それを実際にやってみる、実践してみると、

理論の表面的な言葉の表現だけじゃなく、

その奥にある、遠藤さんが伝えたかったのはもしかしてこういうこと?

というのがふっと気づきのような感じでわかってくる、入ってくる。

そこがおもしろかったというか、たのしかったというか、

子育てをしていると思っている私に、子が育っているという気づきを与えてくれて、

ガチガチに重く考えていた子育てをゆるませて、ラクにしてくれたなぁと。

結果的には、子育ち理論というものに、遠藤さんに・・・感謝せねばと

思わずにはいられないというオチにいつもなってしまう私なのでした。

 

理論は理論として聴きながら、

実践はその通りになるとあまり決めつけないで、期待しないで、

ただやってみる、実験してみる、そんな感じのノリでいいと思うんですよね。

やってみた先、実験してみた先に何が起こるか、見えるか、

そんなことを試しにやっているうちに、

子育てがなんだかちょっと軽く、面白くなればラッキー!

そんな感じの実践を遠藤さんにフィードバックしてくださると

わだじもうれじい・・・。