お笑いに救われていた子ども時代 | NIKKA-BOKKA 

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子育ち講座を修了した母親の実践や気づきを綴っています

5月5日(日)

 

小学校の頃、まだその頃は土曜日も半日学校があったので、

午前中の授業を受けたあと、給食なしで下校をしていました。

おなかぺこぺこで帰って、自分で家の鍵をあけて、

母がこしらえてくれた保温ジャーに入っていたおにぎりを食べながら、

毎週土曜日午後に放送されていた吉本新喜劇の「お笑い花月劇場」を

妹と一緒に見て過ごすのが楽しみでした。

 

当時、私の周囲の家庭はみんな母親が家に居ました。

田舎ということもあったでしょうけれど、

母のように、結婚後出産しても仕事を続けている女性は珍しかったのです。

私が小学3年生、妹が小学1年生に上がったのと同時に、

私達は、西山のばあちゃんちでお世話になるのをやめて、

鍵っ子として過ごすようになりました。

母の出勤時間は朝の6時半だったので、

私達は二人で朝食を食べて、家の戸締りをして登校し、

下校したらまた自分たちで家の鍵を開け、母が帰宅する夕方6時過ぎまで

妹と二人だけで留守番をしていました。

 

妹がまだ一年生だったこともあったと思いますが、

母は「外に遊びに行ったらダメやけんね。」

「家の中におとなしくおらんばよ。」と、いつも姉の私に言いつけていました。

でも、我が家にはおもちゃってもんがなんにもありませんでした。

絵本も親戚のおばさんが買ってくれたものが2冊くらいしかなくて。

経済的に余裕がなかったのか、母にそういう関心がなかったのか・・・

多分その両方だったんだろうな・・・

外では遊ぶな、そう言われて何もない家の中でおとなしく居ろなんて、

子の私らにとって、ほんとうにそれは不便で、息苦しくてなりませんでした。

そう、だからもうテレビを観るしか方法はなかったんです。

つまんなかったですねぇ、当時のテレビはそんなに子ども向けの番組がなくて、

仕方なく時代劇とか、大人向けのドラマとかを内容もわからず

ただ観てることの方が多かった。

 

そんな中でも、土曜日午後の「お笑い花月劇場」は

おもしろおかしい大人が次々と出てきて、変なギャグを言い放ち、

その場にいる大勢のお客さんの笑い声がさらにその場を盛り上げて、

子どもの私達もその雰囲気につられて一緒に笑えたのでした。

 

当時、周りの母親とはちょっと違う生き方をしている母にとって、

きっと私達子らを他人に預けたり、鍵っ子で留守番させてでも自分が働き続けることに、

葛藤や罪悪感のようなものがあったのかも知れません。

そして、子の私らに何か良からぬことが起きて、責められるのは母親の自分だという恐れが

もしかしたら強くあったのかも知れません。

「よかね?おとなしゅうしとかんばよ?」

「外には絶対遊びにいったらいけんけんね!」

そう言い聞かされた鍵っ子の私と妹は、お外は怖いんだ、危ないんだという印象とともに、

「オオカミと七匹の子ヤギ」の世界にいるような緊張感が常にありました。

 

でも、そんなことないで~~。ほら笑え~~。

こんなアホな大人がここにおるで~~。

ほんまや、おかしいやっちゃ、けったいなやっちゃ。

「えげつな~~」「くっさ」「あへあへあへ~~」

テレビの中の吉本新喜劇のおっちゃん達は、とっても楽しそうに

人に笑われることを喜んでるように見えて・・・

 

妹と二人で、クククク、アハハハハ、ワッハハハ、

「おかしか~、おかしかね~~。」と言い合って笑っていられることで、

私達は寂しさを忘れ、怖さを忘れ、母の帰りを待っていられたのでした。

 

テレビはよくない。そういう面もあるのかもしれないけれど、

どうしていようもない、外で遊ぶな、じっとしてろと言われた私ら姉妹にとって、

テレビは何よりの救いで、お笑い番組は緊張をほぐしてくれる癒しでもあったのでした。

 

テレビばっかり観てて困る。

親の目線だとそうかもしれないけれど、

子の方は、他にどうしていようもない、ある意味不便な状況かもしれなくってね。

テレビが悪者なんじゃなくて、テレビを観てるしかない状況に子を置いている、

問題はそっちなんじゃないかな・・・って、自分の体験を通して思っています。