後始末をする立場の苦悩 | NIKKA-BOKKA 

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子育ち講座を修了した母親の実践や気づきを綴っています

4月27日(土)

 

鹿児島の山奥にある父親の実家が空き家になって10数年が経過。

それ以前は叔父が最後の住人として暮らしていたんですが、

急な入院からそのまま施設に入所して亡くなったので、

家の中には冷蔵庫やテレビをはじめ、

生活品のあれこれすべてがぎっしりと残されていました。

人が住まない家はあっという間に朽ちていくと聞くけれど、ほんとにそう。

時々様子を見に行く度に台所の床は抜け落ち、本や布団はネズミに食い荒らされて、

そこらじゅうがネズミの糞だらけ。

とても靴を脱いであがる気にはならない状況になっていました。

さて、これをどう片付けよう・・・

正直、そこで思考停止状態でした。

タダでもいい、この家を引き取ってくれる人があれば・・・と

ダメ元で不動産屋さんにお願いして待つこと2年。

ようやく引き取ってくれる方が見つかり、

条件として出されたのが「家の中のモノをすべて綺麗に片づけてくれたら」でした。

 

やっぱりそうか、そうだよねぇ。

現地の片付け業者にお願いして片付けてもらうことにしました。

うんじゅうまんえん。←せめてひらがなで書くとおまんじゅうみたいでやわらぐ?(笑)

かかるねぇ、かかる。でもしょうがない。ショウガない。生姜がなーーい。(笑)

家族が代々続く家ばかりではない、むしろそういう家は今少ないのかもしれない。

土地や家屋の相続も含め、誰かがどこかのタイミングで整理や片付けを余儀なくされますね。

 

遺品整理、我が家の義曾祖父、義父母の亡きあと、夫と共にやりました。

曾祖父は上質なものを少なく持ち、長く使う主義の人だったので身のまわり品はほんのわずか。

そして、孫の夫が「これお爺ちゃん気に入ってたんだよな。オレ使わせてもらおうっと。」と

そのまま譲り受ける品もいくつかありました。

でも、義父と義母のモノはとにかく大量にあり過ぎて、

それだけでエネルギーを吸い取られました。

どれを残していいのかわからないと思うほど、モノの多さと管理の悪さ。

でもそれを本人じゃない家族が勝手に捨てようとすると、

そこにくっついてくる罪悪感だけは、捨てる分だけ心に重く溜まっていくんです。

もったいない。そう、きっともったいないから捨てずにこれだけ所有していたんだよね。

でも、なにがもったいなかったの?

値札が付いたまま虫に食われたり変色した服の山積を見ながら、

いつもくたびれたような服ばかり着て過ごしていた義母の姿を思い出し、

悲しさと情けなさのようなものが入り混じって、半分泣きながら怒りながら片づけたのでした。

うわあ・・・こんな気持ち、自分の子達にはさせたくないな。そう思いました。

 

業者に頼めば大金がかかる、自分でやれば気持ちが削がれる、

いずれにしても、いくら家族とは言え、自分のモノじゃないものを片づけるって

しんどい作業だな~~としみじみ思います。

まあ、これも供養のうちだと思って、もうお義父さんったら!もうお義母さんったら!と、

ぷんぷくぷんぷんしつつ、なぜだか愛しさのような寂しさのような気持ちもわきながら、

ど~にかこ~にか・・・やり切ったんですけどね。(苦笑)