4月24日(水)
佐賀の母が特老に入所して3か月が過ぎました。
正月明けに誤嚥性肺炎で入院したあとの入所だったので、
最初から食事はとろみ食を出してもらっているのですが、
日に日に嚥下する力も弱くなっている様子。
入所当初は、「とろみ食てん、あたしゃ好かん。」
「パレットに絵の具ば乗せとるごたっとば出して。なん食べよるかわからん。」
そんな文句を言う元気があったらしいのですが・・・。苦笑
(妹が医師に相談してみるも、今の母の嚥下の様子ではリスクが大きい、
再入院になってしまうよ?と言われ、とろみ食を受け入れるしかありませんでした)
でも、最近はそのとろみ食さえ、あまり進まなくなってきたようで、
妹が毎週面会に行くたびに、母が枯れ木のようにやせ細っていくのを目にし、
「姉ちゃ~ん、お母さんまた小さくなっとった。」と電話口で心配そうに。
「そっか~。また小さくなっとったか~・・・・。」
まねで返しながら、小さくなった母に思いを馳せる私。
でも、延命のための点滴等は私も妹も望んでいないので、
このまま自然に母の生命力ある限りに任せるつもりです。
お母さん・・・お母さん・・・
彼女のたくましく強い生き方を尊敬し、大事に思う一方で、
母とは母と娘という形態だけを見た目よく保とうと、
いい母親らしく?といい娘らしく?をお互いやってきたような、
そこになにか物足りなさのような寂しさを感じることが時々あります。
おたがいにありのままを受け止められなかった・・・なぁ。苦笑
「なんであんたは、そうするかね・・・」と母は私を何かと気に入らないようだったし、
私も私で「どうしてお母さんはいつも・・・」と母を否定していたように思います。
お互いがお互いのいったい何を観ていたんだろう・・・と今は思い返しています。
「なんであんたは、そうするかね・・・」の「そうする」が娘の私のありのままだったし、
「どうしてお母さんはいつも・・・」の「いつも」が母のありのままだったんじゃないかと。
要は、お互いにあなたのありのままが気に入らなかったわけよね?と。(苦笑)
ありのままのあなたじゃイヤだって、ありのままを拒絶しあってたから苦しかったんだ。
ありのままを、そうか、そうなのねって、とりあえず受け止めていれば
きっとすんごいラクだったんだろうな、いや実際ラクじゃん。
私自身、子育ちで我が子のありのままを受け止めようとしながら暮らすうちに、
すこ~しずつ、すこ~しずつ、そこに気づけるようになったかな・・・。
母は、会うといまだに、
「お父さんが病気せんかったら、お前はもっといい大学に入れたのに。」
「その白髪頭はもう染めんと?なし染めんと?」
「もうちょっと派手な服着たらよかとに。お前はほんに地味かね~。」
・・・私へのご注文は尽きないようです。苦笑
でも、そうやって、私にこうあって欲しかった、こうして欲しい、こうすればいいのにも、
私の母ならではの、これがありのままなんだと私自身が受け止められるようになってから、
「どうしてお母さんはいつも・・・」と以前ほどフガフガすることはなくなりました。
(出た出た、いつものお母さん♪)そう彼女のありのままを受け止めながらまねで返すと、
母は私が自分の言うことをとりあえず承知したんだと満足するのか、
それ以上のやり取りに発展せずに、こちらも平和に右から左に流せるのでした。
で、ふと気づいた衝撃の事実。
母からのご注文を、結局私は昔も今もちっともうけたまわってはおらんのです。(笑)
なんだかんだ言って、子は自分の好きに生きていこうとする。
そしてなんだかんだ言って、親はそんな我が子の無事やしあわせを祈るほかはなく、
しょうがない子だねとゆるしてくれていたりする。
な、なんという愚か者よ・・・
散々好き勝手生きてきた自分に気づき、今残るのはこれしかありません。
お母さん、私を産み、育ててくれてありがとう。
ちっとも言うこときかん娘でごめんね。
いらぬ観念で、ずっとそこにあった、流れていた、
あたたかな何かを 見えないまま気づかないまま生きてきたことが、
きっと他にもたくさんたくさんあるんだろうな・・・私。