春のたより♪ | NIKKA-BOKKA 

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子育ち講座を修了した母親の実践や気づきを綴っています

3月21日(木)

 

数日前、うぐいすの声を聴きました。

春がやって来たことを日に日に感じるこの頃。

 

入園、入学、進学、就職、様々な節目の時期でもありますね。

あぁ、このふわんとしたあたたかい空気、春の匂い・・・

子のために用意するものすべてがまっさらで、

なんだかドキドキ緊張したり、

ワクワク楽しみな気持ちになったり・・・

親として子の傍らで同じように心が揺れた日のことを

ちょっと懐かしく思い返している古株の私です。

 

3月最初のほうで、今年度オンライン子育ち受講生のための予備日があり、

私もご一緒させていただきました。

無事に7回講座を終えての感想に「話したいことがいっぱいで何から話そう。」

そんなお声も聞かれ、それぞれにきっといろんな気づきや

お子さんの育ち、ご自身の変化があったんだろうなという様子が伝わってきて、

私も嬉しく、そしてみなさんとお子さんの暮らしのこれからを

少しうらやましいとさえ思いました。

 

二人の子が育ち、それぞれに巣立ってしまった我が家のリビングは今、

夫がテレビを観ている時、2匹の猫が追いかけっこしている時以外、

シ~~~ンと静まり返っています。

子達が居たときはあっちゃこっちゃとモノが移動していたのに、

今は、モノひとつ動かない。(笑)

もちろんその静けさはけして嫌いではなくて、私なりに楽しんではいるけれど・・・

 

子のために設えた空間で、二人の子らが笑ったり、怒ったり、泣いたりしたこと、

一緒にご飯を作ったことや、指示を出しても動かない子にイラッとした時のこと、

ほんとに、日々なんじゃかんじゃと事は起き、

時にはあーー大変、あーーめんどくさい!と思ったり、

一通りいろんなことを経験させてもらったなぁ・・・って。

それでも、そんな日々をどうにかこうにか乗り越え過ごしてきた、

その頃の、なんだかんだ元気にやっていた自分を振り返りながら・・・

もしかしたら、その大変さ(子育て&子育ち)そのものに、

私は長年支えられていたのかも知れないな・・・

なんてことを最近思ったりしています。

ちっちゃな日々の困難は、多少あった方が人間元気に生きられるにょよ。

ということをこの歳になって心得た。(笑)

 

質問コーナーで、いろんな質問が出てはいましたが、

退室の際に映った、お子さんを抱っこされながらのお母さん達の笑顔を観たら、

(なんだ、ぜんぜん心配ないじゃない。みんな大丈夫、大丈夫。)なんて思ったのでした。

 

ベースに「日課の安定を意識しながら暮らす」があることで、

それをなんとなくでも繰り返していくうちに、

我が家はこのリズム、このスタイルという軸ができてくるように思います。

その中で、時々今日は特別ねという日があっても、

ちゃんと元の日課に戻れるようにもなってくる。

「何よりも先に日課の安定を整えて」というアドバイスが多いのは、

日課を繰り返すことで、子育ち全体が母親の力だけじゃなく、

子の育つ力で自然と次へ流れていくようにもなるから。

 

今月のたよりに、「ある日の日課」を書いてくださったKさんが、

完璧な子育ちと思うよりも、ゆる子育ちでいいから続けていこう

というようなお気持ちを記してくださっていました。

 

みなさん、いろんな環境の中でそれぞれに日々の暮らしがありますよね。

子育ち理論には、当然ながらそこまでを細かく含んでいません。

なので、自分の、我が家の暮らしに子育ちを取り入れていく過程で、

そこはおのおのが、自分に、我が家に合う実践に変換していく必要がある。

何より目の前の我が子を観ながら、試行錯誤しながら、

うちはこうするのがイイみたいを見出していく必要がある。

 

家族がお互いにお互いの理想を掲げ、

完璧を求め合って、無理をしたりさせてたりしても、

家の中はちっとも安らげない、息苦しい場所になってしまいますよね。

そんなにガチガチに頑張らなくたっていい。

家族として、あなたが居てくれるだけでしあわせと、

お互いの弱さも甘えも包みながら、

それでも「子は育つ」を信頼し、子と関わっていく、

今日一日を家族みんなで乗り越えていく。

 

「ゆる子育ちでいいかと、

その時々の状況を家族みんなでありのままを受け止めて生活をしている」

そんなKさんのある日の日課を読ませていただきながら、

ご家族に流れるじ~~んとあったかいものを感じたのでした。

 

完璧って、なんなんでしょう。

何を完璧って言うんだろう。

Kさんの文章を読みながら・・・そっか・・・

完璧って、ありのままのことかもしれない。

今目の前のありのままを受け止めるってことそのものが

完璧っていうのかもしれない・・・