朝から思い出しちゃ、忘れ。
忘れちゃ、思い出し。

今日はじいちゃんの命日。
昭和63年3月13日。
ちなみにばあちゃんは、
平成19年9月19日。
夫婦揃って、憶えやすかったり(苦笑)。


高校合格は伝えることは出来たけど。
もう、じいちゃんのいた時間より、いない時間の方が長くなってしまいました。


じいちゃんは、宮城県亘理郡亘理町の出身。
ばあちゃんも、同じく。
じいちゃんは海の方出身、ばあちゃんは山の方出身。
じいちゃんの家は『斉貞』といえば荒浜では知らない人のいない商店。
ばあちゃんの家は、専業農家。


じいちゃんは何人兄弟だったか忘れたけれど、四男坊。
最初に就いた職業は、帝国海軍。
横須賀の兵学校で機関員の勉強をしたらしい。

ねえちゃんがちゃんと取っておいてあるので、卒業アルバム?らしきものが未だに家にある。
練習艦・磐手の中で発行された学級新聞?みたいなものも、綺麗に取ってある。
そして「海軍さんは写真好き」の通り、写真も多い。

しかし、どうやら昭和12年頃に退役したらしい。
なので、戦争前の古き良き帝国海軍を過ごしたみたいです。
前述のアルバム・学級新聞は両方ともかなり愉快な内容だったりします。


海軍辞めた後は、勤め人だったり消防士になったり……なんだか自分もよくわからないです(笑)。
大東亜戦争時に召集されたそうですが、その時は三重県の海軍の飛行機のない航空部隊に配属されたとか。

で、戦後に大田区の池上に住み、今の新井宿六丁目・現在は大田区中央三丁目の観音通りに移り住んだとのこと。
自分が生まれた時に、じいちゃんの職業は和菓子屋でした。
どっかでっかいフィルム屋さんから就職の口の話があったそうなんですが、実家の生業が商店だったため、商売を始めるに当たり、和菓子屋にしたそうです。
聞き間違いでなければ、理由は和菓子が好きだったから。
ついでに。
田舎のじいちゃんの夢は、六人兄弟の娘三人のうち、一人は和菓子屋へと継がせること。
田舎のじいちゃん、ずっと坊さんでしたが、和菓子屋になりたかったらしいです。
田舎のじいちゃん丑年、うちのじいちゃん丑年、で一回り違いましたが、何故か仲が良かったです。
田舎の初孫のねえちゃんがいたのもあるけれど、田舎のじいちゃんはしょっちゅう遊びに来ていて、じいちゃんと釣りになんか出掛けてたりしました。


どういう時代錯誤?みたいな家長制度の中で、自分は育ちました。
言われることは、親を敬え、目上を敬え。
儒教の道徳観念、大日本帝国憲法みたいなの、帝国海軍ではこういう場合、お国のために……。


でも、ごめんねじいちゃん、こんな孫に育って(苦笑)。


外じゃ商店街の会長やったり、社交的で明るくて愉快な人で通ってたり。
義理人情に厚くて、人の面倒見がよくて。

そして、見た目もカッコイイと評判で。
だけど、それで借金の保証人やって何人も逃げられて。
家の中じゃ、妻、娘、孫にはとても厳しくて。
でも、長男かわいがりで、嫁もかわいがりで、そのお陰で長男夫婦は碌なもんじゃなくて。


亡くなる間際に、おばちゃんに「(長男)育て方間違えたかな」なんて零したり。
弟には「店を頼むぞ」
ねえちゃんには「息子(長男、つまり自分達の父親)頼むぞ」
なんて言ったりして。
自分は、何も言われませんでした。
期待されてなかったもんね、自分(笑)。
だけど、入院した直後に言われた、
「お前はやっぱり役に立つな」
それだけで、自分は十分だったよ。


ありがとう、じいちゃん。
別れから何年経っても、じいちゃんは一生、自分の目標だよ。


ああ、最後にこれだけは。
うちね、やっぱ見た目はじいちゃんに似たかったよ(T-T)