国宝★中尊寺@平泉
盛岡駅から1時間くらいで
平泉駅へ
まんずバスで
平泉観光協会へ
中尊寺の表参道を月見坂といいます。道の両側には、江戸時代に平泉を治めていた伊達藩によって植樹された樹齢300~400年ほどの杉の並木が続き、歴史の長さを物語ってくれます。
この坂をゆっくりと上っていくと、奥州藤原氏が栄えた平安の昔を伝える山上へ、まるでタイムトンネルを通っていくような感じがします。日常の忙しさを忘れて、風情を味わいながらゆったりと歩むと、心が洗われるような感じを与えてくれます。
足の筋力ないマッキーゎ
老人達の数々のグループの後ろからヨロヨロ
あとで患者さんに聞いたら
タクシーで上までいけたんだって
でも上から行っちゃったら
音声ガイド借りれないモンね。
(どこでも音声ガイド借りるオンナ)
ばっくれられないよーに
1人1500円くらい保証金を置いていかされる。
読むより,耳で情報聞くほうが頭に入るんだよね~
大学のとき,内職(レポートが膨大だったから)ばっかしてたの
もったいなかったなぁ。。。。。
薬理と生理は好きだったから
めっさ聞いてたけど
中尊寺というのはこの山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院(塔中、大寺の中にある小院)で構成される一山寺院です。
本堂は一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建されました。古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で勤められます。
本尊は丈六の釈迦如来。像高約2.7m、台座・光背を含めた総高は5mに及ぶ尊像です。中尊寺の大壇主藤原清衡が「丈六皆金色釈迦」像を鎮護国家大伽藍の本尊として安置したことにならい平成25年(2013)に造顕・開眼供養されました。本尊の両脇にある灯籠には、宗祖伝教大師最澄以来灯り続ける「不滅の法灯」が護持されています。
中尊寺の寺格は別格大寺、天台宗東北大本山です。

中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)は、岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂である。奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されている。
NHKでさんざん観てたし
日本史でも超~お馴染みでも
実物はけっこうこじんまり
アナウンスと音声ガイドはまったく一緒だったぉ
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押してある「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)
まず堂内の装飾に目を奪われます。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の細工(螺鈿)、透かし彫りの金具・漆の蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。
仏像は、須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、その前に観音菩薩(向かって右)と勢至菩薩(向かって左)、左右に3体ずつ地蔵菩薩が1列に並び、最前列には持国天(向かって右)と増長天(向かって左)が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載されました。

平泉文化遺産観光協会から中尊寺までのバス待ちで
時間かかりすぎ~の
中尊寺,音声ガイドに沿って全部見てたら
超~時間かかってさ。
ドライブインみたいなとこで生BEER
あーん。
カウンターに冷麺の真っ赤な辛しダレ置いてあった
それがあったらラーメンじゃなくて
盛岡冷麺にしたのに

5分で食べて
タクシーでもいっこの
世界文化遺産の毛越寺(もうつうじ)へ