ブルー。
太平洋戦争時、
南方にてかなりの数の空中戦を経験し、それでも生きて還った戦闘機パイロットの叔父だが、
どうしても空を捨てられず、
戦後、自衛隊発足と同時に入隊し、配属された松島基地。
まだ、ブルーインパルスは結成されていない。
そんな中で、基地の5周年を祝う式典にて、
アクロバット飛行を披露しようじゃないか!
そんなことを言い出したのは、どうやら叔父だったようだ。
実戦で鍛え上げた飛行テクニックによほどの自信があったようだが、
まだ、航空機も未成熟、航空理論だって確立されていないであろうそんな時代
第二操縦学校の教官である叔父は、訓練中、愛機T-6操縦中に、同校教官である竹内慶文三等空佐(殉職後の特進階級)と空中接触をし、共に帰らぬ人となった
墜落場所は宮城県栗原市若柳の、当時は沼地であったため、遺体の回収はすぐに行われたのだが、機体回収には難儀したと聞く。

(画像は叔父とT34練習機)
若くして夫を亡くした叔母は、現在は身寄りが無く、認知症がすすみ
すでに私以外の者を記憶に留めておけない状態だ。
施設に暮らしているが、出来得る限りの面倒をみている。
せめて叔父がもう少し長生きしていたら、子供もでき、
私が面倒をみるよりも遥かに大事にされたんじゃなかろうか・・・
無力さを感じる。
そんな叔母の家を整理していると、叔父が戦争中に書いた絵日記が出てきた。
戦闘のことなどを事細かく書かれた、当時を知る貴重な資料だ。
それをどうするかで、有識者の力を借りて、
最終的には市ヶ谷の戦史図書館へと寄贈した。
程度が良くて、装丁し直して一般公開されるのを待っている状態である。
そのうち、ネットにも公開されると思う。
是非一度、読んでいただきたい。
突如発見された資料により、改めて叔父の人となりを知り、
これらがきっかけで、今まで何度となく松島基地から誘われていた、
基地訪問と
叔父の慰霊碑に会いに行く旅を決行することとなる。
遺族の皆さんのお世話をしてくださっていたのは
航空自衛隊第4航空団 司令部監理部 渉外室の方で
電話では何度となくお話ししていたのだが、
なにせ宮城県である┐('~`;)┌
合同慰霊祭などのお誘いもなかなか足を運べない。
なので、突如決めた訪問には大変歓迎してくれた。
墜落場所である、慰霊碑建立の地は、基地から車で2時間程度、
本塩釜でレンタカーを借りて、
まずは基地にお礼にむかう。
到着すると正面玄関まですぐさま迎えに来てくれた、声しか知らなかった担当者。
ご挨拶を済ますと、
なんと嬉しいことに、任務で基地を空けていたブルーインパルスが今、
戻ってきたので見ていってくれと中へ案内してくれた。
もちろん、
関係者扱いであるから近くで見れたわけで、
一般だと、室内のみの見学だそうだ。
航空祭とかでは展示されるんでしょうが、
たぶん予備機とかなんだろうな・・・?
機体に何かされたりするとマズいもんね。



戻ったばかりで慌ただしく整備・給油をする隊員たち。しかし近い!
ちなみにF-2は機密事項が多すぎてさすがに見学は出来ない。
UHとかもね。

燃費のいいこの子たちは、
翼下の外部タンクだけで九州まで行っちゃうらしい。
目の前にいるのは九州帰りのT-4たち
思いがけずに嬉しい本物が目の前に!
月並みではありますが、
カッコいい~~(∀`从)♡♡♡
お忙しい中、ご案内いただいてありがとうございました。
松島基地は、唯一、震災被害を受けた基地で、
T-4の格納庫も現在はかなり高く持ち上げられて改装されていた。
格納庫を丸々と移動しつつ、基礎を積んでいく作業だったようで、
それこそ5cmとかの単位で移動しながらの作業だと言っていました。
そんな、まだまだ津波の爪痕残るこの地。
時間が読めないため、
急ぎ基地を後にする。
いよいよ、
写真でしか見たことのなかった、叔父の慰霊碑へと向かう。
ただの沼地であるため、
住所が無いので、大まかにナビに案内させて、
あとは呼ばれるがままの勘だよりのドライブ。
だが、
みやぎ県北高速幹線道路36号線の若柳南ICを降りて、県道177号線へと折れてすぐ、
簡単に見つかった。
悲しいほどに寂しい場所だった。
ここに遺骨が眠っているわけではないが、
やはり放っておくわけにはいかない。
ところが、現地のボランティアの方々がいつも手入れしてくださっているということで
とても綺麗に保たれていた。
言葉にならない程の感謝です(泣。。。

なぁ~~んも無い場所にポツンと・・・
昔だったらもっと寂しい場所だったんだろうな・・・
こんな場所で死んでいくなんて・・・
慰霊碑の横には、それぞれが乗っていたT-6の、本物のプロペラが飾ってある。
ようやく訪れた慰霊碑に献花し、
思ったよりも早く事済んだので、
せっかくなので散策しながら帰ることにする。
既にもう、旅行気分にシフト。'`,、('∀`) '`,、
石ノ森章太郎ふるさと記念館は休館日( ノД`)シクシク…
とりあえずレンタカーを返却し、宿泊する松島に移動する。
松島もまた、アチコチに津波の爪痕が残り、
工事車両の多いこと。
夜など足元も見えない暗さだが、確実に復興は前に進んでいるのがわかる。
まだまだ、長い年月がかかるかもしれないけど。
そんな強行スケジュールではあったが、実際に向かってみると案外近い。
これからは慰霊祭にも顔を出していかねばならないな。

数少ない叔父の画像だが、飛行中のコクピット内ってのは珍しい。