ぬち | 真夜中のキャプチュード

ぬち





























仲村颯悟 監督作品


「人魚に会える日。」劇場鑑賞!!








えっ!?

『やぎの冒険』からもう、5年も経つんですか?

やぎは横浜で観たけど、

本作は渋谷で出会いました。

上映後、監督、スタッフさんらでトークショーが行われ、

その中で語られていたのですが、

仲村監督が大学進学のために上京した際に、

関東の人たちの沖縄の見方などに、

うちなーとして温度差を感じたことで生まれたアイディアらしい。

それを受けて、ふと思い出したのは、

年がら年中、沖縄に行ってる私も、

実はそれと同じ感覚を感じていました。


横須賀生まれの私にとって、

基地は誕生前から当たり前にそこにある風景。

子供のころは基地の正面ゲートが見える場所で遊び、

アメリカ人の子らと普通に遊んだりしてて

目の前でSPに警棒で殴られ血まみれの黒人兵。

何か悪さをして追われる外国人。

そんな風景が子供の目の前にあったわけでして…





しかし、

横須賀はどちらかというと、基地と上手く付き合っている街だと思うのです。

原子力空母が入港してきても、

実際に騒いでいるのは他所の人たち・・・

意外に気にしてない市民たち。

つまり、

私が感じた、"基地の街"つながりのようなモノを

沖縄の人とは共有出来ない違和感がそこにあるのって、

それって、

閉鎖的な島での基地の比重っていうか、

横須賀は基地が占めていても、陸続きで他県に逃げることだってできるワケだから

電車に飛び乗れば、

わずかな時間で、基地とおさらば出来るワケですよ。

そんな立ち位置の違いが、

「同じ基地の街」同士って感覚を生まないのか?


なんか、沖縄の人に横須賀も基地の街なんですよ!って言った時の

あの、なんか変に冷たい対応に違和感をずっと感じてました。

まぁ、

人見知りという言葉が私の辞書に存在しないのが悪いのか?

あまりにフレンドリーに接近しちゃってるのもイカンのだろうけど、

うちなーってみんな、人見知りしないとかいう先入観持ってる私が悪いよね
                         (●´艸`)




本島に住む、友人たちと、そんな話になっても

やはり違和感がつきまとう。

だからね、監督!

温度差を感じるのは、沖縄側にもなんか閉鎖感からか、何からか?

少し、距離置こう的オーラ出ているんだと思いますよ。

でね

そこら辺を念頭において、

生贄の民間伝承がある村を舞台に、

かなりホットな話題である基地移設問題の陰で、

犠牲になっているもの・・・

つまり、

破壊される自然だとか、

それによって棲み処を奪われる人魚ことジュゴンとか、

そんな「生贄」達を何重にもメタファーで繋げつつ進む物語は秀逸ですよ。

最後には、

自らが犠牲に・・・

  生贄になれば・・・とか思い始めてしまう

そんな重いリアル沖縄を、

いまどきの人である監督は突き付けてくれたんですね。

なんか

わざわざ立ち寄った甲斐あって、
 (なんて失礼な言い方なんだ!むかっ

とても楽しい出会いになりました。

ありがとう!仲村颯悟監督!


































(C) 映画『人魚に会える日。』製作委員会

製作年:2015年

製作国:日本

日本公開:2016年2月21日

上映時間:1時間33分

配給:RYU-GOATS

配給協力:エレファントハウス

カラー








~ストーリー~


沖縄の高校生ユメにとって、

生まれた頃から近所に立ち並ぶ米軍基地は当たり前の風景ではあったが、

ジュゴンに惹かれ、彼らの棲む美しい海が

基地建設によって奪われることをひどく気に病み、

不登校になってしまった結介に関わったことで

沖縄の抱える現実を目の当たりにする。

やがて姿を消してしまった結介を探すべく、

ユメは基地建設の計画が進む辺野座の村を訪れる。

その村では古くから、海や山など、

自然界の神の許しを乞いながら生活していた。


基地はつくるべきなのか。

基地にまつわる争いが終わるときは来るのか。

村人の思い、姿を消した結介の思い、神の思い。

ユメは突然突きつけられた多くの思いを前に、ひとつの答えを見つける。