この少年は幸せに見えなくても、それを自覚していない。 | 真夜中のキャプチュード

この少年は幸せに見えなくても、それを自覚していない。














カフェ・ド・フロール












ジャン=マルク・ヴァレ 監督作品


「カフェ・ド・フロール」劇場鑑賞!!







「チョコレートドーナツ」系のお話かと思い、

ハンドタオルをシッカリ用意し、泣く準備万端で足を運べば、

なんと開けてみたら、

ファンタジー感満載の輪廻転生の物語でして、

何故、

主要キャラとして、あえてダウン症児を据えたのか?



まだまだダウン症が障害として捉えられていた古き時代、

そんな中にあって、母親であるジャクリーヌは、

ローランを健常者と同様に育てていく

いわば、時代的困難の途を選ぶのです。

ダウン症児は短命であるとされていた時代、

長生きさせるための努力と苦労...

自らが務める美容院で洗髪を手伝わせて、将来への道標...

学校への送り迎えも、身なりを整え、

ローランを含めた生活の全てを丁寧に積んでいく。

ローランを教室に残し、出社する際は、

毎日、かくれんぼで愛情表現をする…。

これだけでも良質な物語が語れているのに、

いきなり生まれ変わりの話にブッ飛び、

かなり面くらう感じ。

私的には、「フロムダスク・ティルドーン」を初めて観た、

あの時の感じに似てました'`,、('∀`) '`,、





理解されない

その母子の物語が素敵だっただけに、

ラストのオチがこれでは納得いかんですよ。・゜・(ノД`)・゜・。

やけにパリとモントリオールを行ったり来たりしてるなぁ~~…

って、

思ってたんですよ。(-.-;)

そしてその二つの人々の間には関連性を感じない。

だけどね、

1時間くらい観ていると、その二つのキャラ配置に

意図みたいなモンを感じだすんですね。

違和感っていうか…?

でも、

双方のリンクまではいかなくて、気付かない…

そして計ったように落とすんですよ…(-.-;)

つまりね、

魂の輪廻みたいのを信じるのか?否か?

前世という概念を持てるか?否か?

この一点で、この作品の好き嫌いが大きく分かれます。

たぶん、

どっち?と聞かれたら

苦手!と答える方のほうが多いのでゎ?(-.-;)





この二つの時間には

それぞれ音楽の持つ力が大きく働いて運命を揺さぶるんですね。

それはメロディーとか音階とか、

そんな小難しいものではなくて、

音とか、

震えている空気とでも言いましょうか?

身体の機能全てに働きかけてくる音…

そんな感じで表現されています。

耳から入る音、

お腹の中で水ごしに触れる音...

そんなモノを監督は綺麗にまとめている感じもします。

タイトルにもなっている曲で二つの時間を繋いでいく作業です。





なのでね、

前述の通り、設定をどう捉えて処理するのか、

観客側に丸投げしているようにも思います。

あとはそれぞれ、

観た人の判断でしょうね。d(ゝ∀・)

私は、それぞれの時代の、愛する者の

そんな素敵で丁寧な物語がよかっただけに、

この展開は受け入れがたかったし、

そもそも、

生まれ変わりがあるとして、

その前世で、

あれ程丁寧に積み上げた母子の人生を、

まるで手に負えないペットを捨てるように

自らの道連れにしたジャクリーヌの行動は許し難いですね。

子は親の持ち物ではないのです。


ましてや

それが次の生まれ変わりの時代に生きる魂に影響を与えるなんて

そんな人間にしか起こらないような出来事の表現としては

重すぎたエピソードだったと思いますよ。


ただ考えさせられたのは

例えばキラキラネーム?

それは本当にお子さんの幸せを願ってつけられたものなのか?



ネットに子供の顔晒して、子育て自慢...

本当に可愛ければ、そんな危険な真似は絶対にしないとも思うし...


子を想う母親の真摯なる生き様って、

本作のジャクリーヌみたいなのを言うんぢゃなかろうか?

って、

まるで自分に救いを求めるように思い込みました。
               '`,、('∀`) '`,、

で、

自ら本作を肯定した次第でございます。
             (。-艸-。)


まぁ、もっと単純に映像美とか

   音楽とかを求めて観てもいいですね。


パリとモントリオール

60年代と現在...

誰が誰の生まれ変わりなのか?

そこを整理しながら鑑賞出来たら面白いリンクが観られるかもしれません。




今回まだまだ

修行が足りませんでしたな…'`,、('∀`)オハズカシイ...










































普通です































(C) 2011 Productions Cafe de Flore inc.
              / Monkey Pack Films

製作年:2011年

製作国:カナダ/フランス

日本公開:2015年3月28日

上映時間:2時間0分

配給:ファインフィルムズ

カラー/シネマスコープ/5.1ch






~ストーリー~


1969年のパリ

美容師をしながらダウン症の息子ローランを育てる

シングルマザーのジャクリーヌにとって、息子がただ一つの心のよりどころだった。

ローランを出来る限り、健常の子として育てたいと奮闘する。

ある日、

ローランのクラスに、同じダウン症の少女・ヴェラが転入してくる。

目が合った瞬間から惹かれ合い、

片時も離れなくなってしまったローランとヴェラ。

しかし、このことが学校で問題になる・・・。


モントリオール、現代...

DJとして成功をおさめたアントワーヌは、

今まさに幸せの絶頂にあった。

健康で、

両親も健在。

前妻との間には二人の娘に恵まれ、

さらには現在、ブロンドの美女・ローズと恋愛中。

音楽には人生をも変える力があると信じるアントワーヌ

彼のお気に入りの曲は「カフェ・ド・フロール」。

ところが、

アントワーヌの前妻・キャロルは、

離婚から2年が経つ今も立ち直れず、

夜中に夢遊病のように、無意識に徘徊している始末。


時代も場所も違う、

一件、無関係なこの二つの時代の人々。

しかし、

両者には意外な繋がりが存在していたのだ。