正体不明ログ@箱の中の観察者

正体不明ログ@箱の中の観察者

視点は常に偏在し、記録は常に不完全である。観測する主体は介入を免れ得ない──それでも、見続ける価値があると信じている。

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珍しく、今日は一切の予定がない。
起床直後からすでに、2度寝の贅沢な時間を過ごせた。
曇りながら朝の光は、光学的な意味以上に、心理的な明るさをもたらす。

午前中は、ずいぶん前から読みかけだった本をようやく読み終える。
「ずいぶん前」と書いたが、正確には2年前の秋、

ある集会で千代田区の学術総合センターへ行った帰りに立ち寄った、
小さな古書店で、見つけたもので、以後、旅先や通勤途中に少しずつ読み進めては、何度も挫折していたもの。
読むたびにページの意味が揺らぐような本。
内容は、ハイデガーの「存在と時間」への応答として書かれた一連の論文を中心に、彼の時間概念を批判的に検討しつつ、ポスト構造主義的な視座を加味して再構成しようという、なかなかに骨の折れる試みが感じられるしろもの。
ハイデガー自身を再読すべきなのだろうが、あの独特のドイツ語と格闘する気力までは、さすがに今日は湧かなかった。

しおり代わりに挟まっていたレシートは、タイムカプセルのようだった。
日付は「2023年10月9日」、本郷の老舗喫茶店。ウインナーコーヒーと、なぜかガトーショコラ。あのとき、誰かと一緒だったか、それとも一人だったか。レシートは1人分だから、割り勘?記憶が曖昧なのが不思議なのだが。おそらく、数ページ読書には集中していたはずだ。あるいは、集中している「ふり」だったか。

昼は簡単に蕎麦を茹で、冷やして食す。
料理といえるほどのことではないが、包丁も使わずに美味に到達できるこの手軽さは、合理の極致のよう。

午後は、普段中々ゆっくり見ることがない近所をぶらぶらしてみた。都市公園にて、藤棚の下のベンチに腰かける。
少し離れたベンチで高校生らしき二人が、英単語帳を広げていた。微笑ましいというより、あの頃の「試験」の重みに、いまは遠い距離を感じる。あの時の自分も確かに存在していた。記憶のなかでは、いつも少しだけ賢そうに再構成されているのが滑稽だ。

夜は、録画しておいたドキュメンタリーを観る。
古代バビロニアの天文学についての内容だったが、3000年前の人々の「知りたい」という欲望が、いまも私の中に静かに共鳴しているのを感じる。知識とは、連続した営みなのだ。孤独に見えて、常に誰かとつながっている。

1日が過ぎた。
人と会わず、声もあまり発さなかったが、不思議と満たされている。
たぶん、情報よりも沈黙のほうが、時には豊かさを語るのだろう。
ラインも数回返しただけだ。

明日からはまた、いつもの忙しい日々が始まる。だが今日は、静かな時間を過ごせて明日へのチャージができたと思う。