被害者の手記1の続きです。
私の泊まっていたシークレットガーデンのあったところまでたどり着く。
壁の一部は残っている。ビーチにあった私の大好きだったスリーフィッシュレストランの建物が少し残っているだけで、あとは何もかもがぐちゃぐちゃだった。
その向かいにあるシークレットガーデンはビーチから10mも離れていない。ガーデンの中は未だ水浸しで私の太ももまで水位がある。あのきれいでかわいいバンガローはない。
私の貴重品を入れていたロッカーを探す。どこにも見つからない、もう探しようがない。家の中の家具はすべて押し流されていてあとかたもない。私の泊まっていたバンガローは?メインハウスを左に回って私の泊まっていたバンガローのあったところに出ると、バンガローは跡形もなく流されていた。ほんの少し残されているほかの建物から見当をつけて自分のいたバンガロー辺りの瓦礫の山に立ってみる。見覚えのある蚊とり機が目に入った。この下に私のバックや靴や携帯やそんなものが押しつぶされているんだ~。もし私があの瞬間にチョイスを間違ったら、私もこの瓦礫の下でつぶされていたんだろうなぁ。私はそんなことを考えながら、裏山には戻らずタプラバンのバルコニーで眠ることにした。
1日何も食べていなかったから、ホテルが出してくれた大鍋に入ったペンネをむさぼるように食べた。ジンジャービールを3本立て続けに飲んだ。
あばら骨を骨折したというおじさんがゴホゴホ咳をしている。水も電気もない。
プールの水は汚く真っ黒ににごっていたけど、少しはましかもと思って真っ黒に汚れた泥だらけのカラダを洗った。
眠れない夜だった。
あばら骨の折れてるおじさんが咳をするたびにみんなが起きた。波の音がすごく大きく聞こえる。横で寝ているヨーロピアンの女性は波音でフリークアウトしそうになる。
下でコップの割れる音が何回も聞こえてくる。上のバルコニーで誰かが用を足すもので私の足がぬれる。
明日目が覚めたら、すべてが夢であってほしいと願う。
なくしたもののことばかり考える。
お気に入りの旅行セット、バリで買ったルンギ、ニュージーランドで買ったマウイ柄のルンギ、バックパック、トレッキングシューズ、マグライト、スイスアーミーナイフ、イタリアの友達にもらったベルト、ブラジルの友達にもらったすごくかっこいいビキニ(なんでこんなときに限ってボロイビキニの方を着てしまったのだろう。。。)、オーストラリアで買った愛用のショーツ、パーティー用のブラックライトで光るお気に入りのTシャツ、歯医者さんが使う歯石とりの器具、ここに来る前にインドの友達がくれたシルバーのドルフィンペンダント、テルミー(温熱療法)の器具、、、金目のものはまったくないけれど、愛用で思い入れのあるものばかりだった。でも、それよりもパスポートとお金とシティバンクのカード、これがないとまずい。日本大使館とシティバンクは応用がきかないから、どうしても見つけたいな。チケットの再発行は大丈夫だろうけど、日程が取れるかな。
朝は猿の声であける。にわとりよりも猿の声のほうが朝を告げる。少しはうとうと眠ったようだ。
またビーチに下りていく。サーシャたちは行くなというけれど、「私はあなたたちのように荷物を何ひとつ持っていないの。どうしてもみつけだしたいのよ。」といって下に下りていく。
ビーチの村はまるで傷ついた傷口のようだ。海は怖くて近づきたくない。このままだとコレラや感染病が発生するかもしれない。水も食べ物も、ホテルのキッチンのガスも底をつき始めている。
水位は昨日よりも下がっている。昨日は太ももまであったシークレットガーデンの庭も今日は膝まで水につかるだけだ。私の泊まったバンガローの瓦礫は相変わらずそこにある。1枚だけ私のTシャツを見つけたが使い物にはならない。仕方がない。上に戻ろう。
これからどうするかをみんながあちらこちらで話している。
私たちはゲリーの案内で裏山を越えて街に出て、山岳部のキャンディまで行って様子を見て日本大使館のあるコロンボまで行くことにした。
赤ちゃんが脱水症状を起こしてしまってるお母さん、裏山の怪我をしている人たちに絶対にここに助けが来るように伝えるから!と約束してそこを後にした。
ゲリーと私、そしてトレーシーとナターシャとサーシャの5人はサーシャに恋心を抱いている地元の男の子の案内で裏山を超え、反対側に降りていく。
山の反対側は、あの惨劇が嘘のように平和だった。何も壊れていない。店が閉まっていたり、車が少ないこと以外はいつもと何も変わらない。
目の前を通るトラックの荷台に人が乗っていた。私たちも乗せてもらえないかと頼んで乗せてもらった。案内をしてくれた地元の男の子の家に行くことにする。トラックでかなりの時間走った。彼の家に着いた。ものすごいシンプルな家、トイレとキッチンは外。お父さん、お母さん、おばあちゃん、お父さんの兄弟、子供たちの大家族。そこでココナツジュースを飲ませてもらってほっとする。スリランカカレーを作ってもらって食べた。すごくおいしかった。
テレビで津波のニュースを見るけど、英語のニュースはほとんどなくて現地の言葉だ。
男の子たちはキャンディへ行く車の調達に出て行った。
私はお金が一銭もないので車代を払うことができないと告げると、「心配しなくていいよ、とにかくみんなで一緒に行くんだ」といってくれて私は涙が出た。
夕方6:00、車がやってきた。
村の人が運転してくれる。家族の人と住所を交換して全員とハグをしてさよならを言った。
私はタプラバンで他の旅行者にもらった花柄のビーチサンダル、オレンジ色のタイパンツ、紫にオームと書いてあるヒッピーなTシャツ、そして手にはスーパーのビニール袋にシーツが1枚と水のボトルが1本という、なんとも怪しい格好をしている。下着も何もないけれど、とにかくオレンジ色は私のラッキーカラーだ!O.K!よし、いくぞ~!
キャンディには明け方4時頃にたどり着いた。10時間以上かかった。1件目のホテルは満室で2件目のホテルは断られ、さまよい歩いてようやく3件目のすごく安そうなホテルに泊まれることになったが、すごい値段を吹っかけてきた。しかし睡眠には変えられないので、ナターシャがカードで払うことになった。
部屋ではみんなでごろねをして、唯一の所持品のシーツをかぶって床にあったエキストラマットで少しだけ眠った。
夜が明けて、朝一番にすることは大使館に電話をすることだ。
ウナワトナのおかあさんと赤ちゃんの救助だ。起きてすぐにトレーシートナターシャと3人でヒッチハイクで街に電話をかけに行った。イギリス大使館に電話をして、イギリス人のお母さんと赤ちゃんが助けが必要なこと、そのホテルの番号、彼女の携帯電話の番号を伝えてお願いする。
そして次は日本大使館に電話をしてパスポートの再発行を頼むと、写真と警察の紛失届けが必要で、2~3時間で新しいパスポートができるという!嬉しい!!何日かかるかと心配していたが、すぐにできる。チケットの再発行の手続きをしてすぐにコロンボに行こう!
ナターシャに10ドルとスリランカルピーを少し借りて、コロンボ行きのローカルバスに乗ったのが12:00。内陸部はいつもと変わらずすべてが普通に機能していて安心する。
3:45にコロンボのセントラルバスステーションに到着。トゥクトゥクをおもいっきり値切って日本大使館に飛んでいく。大使館が閉館してしまったら大変だ。
日本大使館は高級なところに立っているんだな。
ゲートでセキュルティに日本人カウンター行けといわれ、VISAセクションの日本人カウンターに走っていく。窓口がマジックミラーになっているちょっと怖いカウンターでパスポートの再発行を依頼すると、映画で見た警察のように別室に呼ばれて事情を聞かれる。
するとパスポートの再発行には10250ルピー(約1万円)が必要でお金は貸せませんというではないか。愕然とする。津波より怖い日本大使館!
とにかく私は何もなくなってしまって、この洋服ももらいもので、お金もぎりぎりバス代があるだけなんだということを伝えるしかない。
私はインドに住んでいるから、インドに帰ればすぐにお金も返すことができる。どうか貸して下さいと何度も頭を下げてお願いする。
すると外で待っていてくださいというので、別室を出てロビーで待った。朝日新聞が積んであったので片っ端から読み漁った。やっとまともに事情がつかめてきた。もうすでに数時間待っている。
ロビーに誰もいなくなって一人で待っている間も涙がぽろぽろ出てきて困った。セキュリティのスリランカ人がどうしたのか?と小さな声で聞いてきたので、津波で全部なくなってしまった。2日かけてウナワトナからキャンディ、コロンボにたどり着いたけど、お金を貸してくれないといっている。お金がないとパスポートも再発行できないし、お腹も減っていて疲れていると答えた。悲しいというよりも惨めだった。
日も沈み暗くなった頃、ようやく別室に呼ばれお金を貸してくれることになったと伝えられた。しかし、14000ルピーまでしか貸せないというのだ。10250ルピーが再発行代、250ルピーが写真代、ビザを取り直すのに850ルピー、合計11350ルピーが必要だ。そうすると手元に残るのは2650ルピー。飛行場までのバス代、バスストップまでの交通費に300ルピーはとっておきたい。すると2350ルピー(約2300円)、これでは今晩泊まれるホテルもなく、道端で夜をあかさなくてはならない。洋服も買えないしご飯すらもあやういと思ったけれど、何かこれ以上いってもめると何も貸せないといわれたら終わりだ。「これで足りますね!」と念を押されるので、借りることのできる分だけでO.K.した。
手続きのため別室でまた延々待ていたら、事務所の中で女の人の声がする。どうも何かの食べ物の出前が来たようだ。「あ~いいな~、ここで働いてる人が何か食べるんだ」と思っていたら、お弁当を差し入れてくれた。「は~嬉しい~」今日始めての食事。
夜10時頃14000ルピーと返済のための細かな規約と1日ごとの利率を4枚に渡って細かく打ち出された書類と振込用紙を渡された。外に出る。
ちょうど日本人の女の子が私と同じようにやっとの思いで大使館にたどり着いたところのようだ。しかし大使館は10時までなので明日来るようにと取り次いでもらえないようだ。写真をどこで撮ったらいいのかすら案内がない。いったいどうなっているんだ。
出口のセキュリティガードのところで、このあたりに安いホテルはないかとたずねる。
ガードマンの一人がチョコビスケットを私にくれながら2000ルピーなんかで泊まれるホテルなんてないぞという。確かにそんな値段で、しかも12月29日の夜10時にそんな安いホテルをツアリストが探すのは私も難しいと思う。大使館の人は心当たりがあるから14000ルピーしか貸してくれないのだろう。そう思って大使館に電話をかけて聞いてみた。しばらくすると日本人の男の人がやってきて、正面の受付に案内された。大使館はホテルの斡旋はしないが旅行代理店の紹介はできますというので電話番号をもらったが、この年末のこんな時間に代理店が営業しているのか、そしてホテルを探しているのか?と聞き返すと、また「少々お待ちください」とその人はオフィスの奥に足早に戻ってしまった。また少し待つとそのロビーの椅子で寝てもいいとのこと。道で夜を明かすよりはましだ。。。
よかった。。。私がロビーに案内されたときはそこの電気は消えていたが、私が寝るときには電気を消さないでくださいといわれたので、「さっきは消えてましたよね?」というと保安上の問題があるからと答えた。その後大使館ではシーツの1枚も貸してくれず自分の汚れたシーツを引っ張り出した。大使館にはシャワーもないんだなぁ~と思った。
明け方、どきどきして目が覚める。
夜中にも泣いてしまった。今も泣き出してしまいそうだったけど少しはよくなった。明るくなって日がさしてきた頃、地元の掃除の人がやってきた。コーヒーを飲むかと聞いてくれたので、「yes」といったら。甘いコーヒーを持ってきてくれた。優しい人だな。
9時頃まで写真を撮る店は開いていないので、もう少しここで待とう。。と思っているとセキュリティの地元のおじさんが自分が使ってると思われる石鹸とタオルとトイレットペーパーを持ってきてくれた。シャワーを浴びるか?と聞いてくれたので嬉しくて、うんうんと大きくうなずいた。
セキュリティなどの業務用のトイレについている、トイレのタンクから水を汲み取るような簡易シャワーを使わせてもらい、何度も石鹸でカラダを洗うが、汚くて泡が全然立たない。においもなかなか取れない。何度も何度も洗う。。。
するとドアの影から地元の女の人が顔を出して新しい洋服と下着を持ってくるのでここにいるように言われる。「あ~清潔な服が着られる、嬉しい!」新品のショーツとブラジャーと彼女の古着(といってもとてもきれい)の洋服をもらった。
正面のロビーに来るように言われ行ってみると、昨日は見なかった日本人の男の人がやってきて、とてもとても丁寧に腰を低くして話し始める。なぜか信じられないくらい丁寧で、このままもみ手でもしたらぴったりだと思ってしまった。
昨日とは打って変わってこの態度はなんだろう。朝食を食べさせてくれるといっている。私は早く写真を撮ってパスポートを再発行してもらいたいので、帰ってきてから朝飯をご馳走になりたいとつげ、大使館を出た。
写真を撮って戻ってくるのに乗ったトゥクトゥクの運転手さんの家族はコロンボの近くに住んでいるので被害はなかったのだそうだが、私の話をきいて50ルピーも負けてくれた。大使館の入り口でガードの人がサモサとパンとミルクをくれた。それを食べながら写真を提出してパスポートの再発行を待つ。途中写真のサイズが小さすぎるといわれたが、大きいサイズは時間がかかることを伝えると許された。もうどうでもいいよ。。。
大使館の腰の低い人は大使らしい。。。その人にウナワトナの状況、助けがいる人がたくさんいること、赤ちゃんとおかあさんの話しなどをして、救助を要請してほしいとお願いする。
その人は、どうぞ大使館で休息してください、大使館には休息する施設があるのですよと言う。「!! じゃぁ、なんで昨日はその部屋があることを言わないんだ!」と思ったけれど、言わなかった。もうここで何かを言うことなんてどうでもいいことだった。ここを早く出たい気分で一杯だった。警察みたいだった。私は犯罪者か何かか?
大使館を出るときその人は移動のタクシー代はあるか?とポケットマネーを出そうとまでしていたが、私は断って外に出た。
大使館を出るとテレビ東京のインタビューがあった。
私はそのスタッフの方々に助けられた。エアラインのオフィスやインド大使館に来るまで送ってくれたり、彼らのホテルで休憩もさせてくれた。この場を借りてもう1度お礼を言いたい。本当にありがとうございました。そして、そのおかげで使わなかった2000ルピーはホテルにあった災害救助の寄付金箱に入れた。
今回の体験で私は本当に具体的に人々を救護できるようになりたいと思った。
目の前で苦しんでいる子供に何もしてあげられなかった。もっと知識があれば。。。
そして、この世界中の津波の被害の復興に日本が正しいエコロジカルな方法で技術と知識と人材を援助をしてほしいと思います。迅速な対応をしてほしいと思います。さらに私もその助けになれればと心から思っています。
コロンボのゴルフェイスホテルが無事でよかった。
クラシックでいい感じの私のお気に入りのホテルだ。スリランカの地元の人々には本当に助けられた。また必ずスリランカを訪れたい。
私の泊まっていたシークレットガーデンのあったところまでたどり着く。
壁の一部は残っている。ビーチにあった私の大好きだったスリーフィッシュレストランの建物が少し残っているだけで、あとは何もかもがぐちゃぐちゃだった。
その向かいにあるシークレットガーデンはビーチから10mも離れていない。ガーデンの中は未だ水浸しで私の太ももまで水位がある。あのきれいでかわいいバンガローはない。
私の貴重品を入れていたロッカーを探す。どこにも見つからない、もう探しようがない。家の中の家具はすべて押し流されていてあとかたもない。私の泊まっていたバンガローは?メインハウスを左に回って私の泊まっていたバンガローのあったところに出ると、バンガローは跡形もなく流されていた。ほんの少し残されているほかの建物から見当をつけて自分のいたバンガロー辺りの瓦礫の山に立ってみる。見覚えのある蚊とり機が目に入った。この下に私のバックや靴や携帯やそんなものが押しつぶされているんだ~。もし私があの瞬間にチョイスを間違ったら、私もこの瓦礫の下でつぶされていたんだろうなぁ。私はそんなことを考えながら、裏山には戻らずタプラバンのバルコニーで眠ることにした。
1日何も食べていなかったから、ホテルが出してくれた大鍋に入ったペンネをむさぼるように食べた。ジンジャービールを3本立て続けに飲んだ。
あばら骨を骨折したというおじさんがゴホゴホ咳をしている。水も電気もない。
プールの水は汚く真っ黒ににごっていたけど、少しはましかもと思って真っ黒に汚れた泥だらけのカラダを洗った。
眠れない夜だった。
あばら骨の折れてるおじさんが咳をするたびにみんなが起きた。波の音がすごく大きく聞こえる。横で寝ているヨーロピアンの女性は波音でフリークアウトしそうになる。
下でコップの割れる音が何回も聞こえてくる。上のバルコニーで誰かが用を足すもので私の足がぬれる。
明日目が覚めたら、すべてが夢であってほしいと願う。
なくしたもののことばかり考える。
お気に入りの旅行セット、バリで買ったルンギ、ニュージーランドで買ったマウイ柄のルンギ、バックパック、トレッキングシューズ、マグライト、スイスアーミーナイフ、イタリアの友達にもらったベルト、ブラジルの友達にもらったすごくかっこいいビキニ(なんでこんなときに限ってボロイビキニの方を着てしまったのだろう。。。)、オーストラリアで買った愛用のショーツ、パーティー用のブラックライトで光るお気に入りのTシャツ、歯医者さんが使う歯石とりの器具、ここに来る前にインドの友達がくれたシルバーのドルフィンペンダント、テルミー(温熱療法)の器具、、、金目のものはまったくないけれど、愛用で思い入れのあるものばかりだった。でも、それよりもパスポートとお金とシティバンクのカード、これがないとまずい。日本大使館とシティバンクは応用がきかないから、どうしても見つけたいな。チケットの再発行は大丈夫だろうけど、日程が取れるかな。
朝は猿の声であける。にわとりよりも猿の声のほうが朝を告げる。少しはうとうと眠ったようだ。
またビーチに下りていく。サーシャたちは行くなというけれど、「私はあなたたちのように荷物を何ひとつ持っていないの。どうしてもみつけだしたいのよ。」といって下に下りていく。
ビーチの村はまるで傷ついた傷口のようだ。海は怖くて近づきたくない。このままだとコレラや感染病が発生するかもしれない。水も食べ物も、ホテルのキッチンのガスも底をつき始めている。
水位は昨日よりも下がっている。昨日は太ももまであったシークレットガーデンの庭も今日は膝まで水につかるだけだ。私の泊まったバンガローの瓦礫は相変わらずそこにある。1枚だけ私のTシャツを見つけたが使い物にはならない。仕方がない。上に戻ろう。
これからどうするかをみんながあちらこちらで話している。
私たちはゲリーの案内で裏山を越えて街に出て、山岳部のキャンディまで行って様子を見て日本大使館のあるコロンボまで行くことにした。
赤ちゃんが脱水症状を起こしてしまってるお母さん、裏山の怪我をしている人たちに絶対にここに助けが来るように伝えるから!と約束してそこを後にした。
ゲリーと私、そしてトレーシーとナターシャとサーシャの5人はサーシャに恋心を抱いている地元の男の子の案内で裏山を超え、反対側に降りていく。
山の反対側は、あの惨劇が嘘のように平和だった。何も壊れていない。店が閉まっていたり、車が少ないこと以外はいつもと何も変わらない。
目の前を通るトラックの荷台に人が乗っていた。私たちも乗せてもらえないかと頼んで乗せてもらった。案内をしてくれた地元の男の子の家に行くことにする。トラックでかなりの時間走った。彼の家に着いた。ものすごいシンプルな家、トイレとキッチンは外。お父さん、お母さん、おばあちゃん、お父さんの兄弟、子供たちの大家族。そこでココナツジュースを飲ませてもらってほっとする。スリランカカレーを作ってもらって食べた。すごくおいしかった。
テレビで津波のニュースを見るけど、英語のニュースはほとんどなくて現地の言葉だ。
男の子たちはキャンディへ行く車の調達に出て行った。
私はお金が一銭もないので車代を払うことができないと告げると、「心配しなくていいよ、とにかくみんなで一緒に行くんだ」といってくれて私は涙が出た。
夕方6:00、車がやってきた。
村の人が運転してくれる。家族の人と住所を交換して全員とハグをしてさよならを言った。
私はタプラバンで他の旅行者にもらった花柄のビーチサンダル、オレンジ色のタイパンツ、紫にオームと書いてあるヒッピーなTシャツ、そして手にはスーパーのビニール袋にシーツが1枚と水のボトルが1本という、なんとも怪しい格好をしている。下着も何もないけれど、とにかくオレンジ色は私のラッキーカラーだ!O.K!よし、いくぞ~!
キャンディには明け方4時頃にたどり着いた。10時間以上かかった。1件目のホテルは満室で2件目のホテルは断られ、さまよい歩いてようやく3件目のすごく安そうなホテルに泊まれることになったが、すごい値段を吹っかけてきた。しかし睡眠には変えられないので、ナターシャがカードで払うことになった。
部屋ではみんなでごろねをして、唯一の所持品のシーツをかぶって床にあったエキストラマットで少しだけ眠った。
夜が明けて、朝一番にすることは大使館に電話をすることだ。
ウナワトナのおかあさんと赤ちゃんの救助だ。起きてすぐにトレーシートナターシャと3人でヒッチハイクで街に電話をかけに行った。イギリス大使館に電話をして、イギリス人のお母さんと赤ちゃんが助けが必要なこと、そのホテルの番号、彼女の携帯電話の番号を伝えてお願いする。
そして次は日本大使館に電話をしてパスポートの再発行を頼むと、写真と警察の紛失届けが必要で、2~3時間で新しいパスポートができるという!嬉しい!!何日かかるかと心配していたが、すぐにできる。チケットの再発行の手続きをしてすぐにコロンボに行こう!
ナターシャに10ドルとスリランカルピーを少し借りて、コロンボ行きのローカルバスに乗ったのが12:00。内陸部はいつもと変わらずすべてが普通に機能していて安心する。
3:45にコロンボのセントラルバスステーションに到着。トゥクトゥクをおもいっきり値切って日本大使館に飛んでいく。大使館が閉館してしまったら大変だ。
日本大使館は高級なところに立っているんだな。
ゲートでセキュルティに日本人カウンター行けといわれ、VISAセクションの日本人カウンターに走っていく。窓口がマジックミラーになっているちょっと怖いカウンターでパスポートの再発行を依頼すると、映画で見た警察のように別室に呼ばれて事情を聞かれる。
するとパスポートの再発行には10250ルピー(約1万円)が必要でお金は貸せませんというではないか。愕然とする。津波より怖い日本大使館!
とにかく私は何もなくなってしまって、この洋服ももらいもので、お金もぎりぎりバス代があるだけなんだということを伝えるしかない。
私はインドに住んでいるから、インドに帰ればすぐにお金も返すことができる。どうか貸して下さいと何度も頭を下げてお願いする。
すると外で待っていてくださいというので、別室を出てロビーで待った。朝日新聞が積んであったので片っ端から読み漁った。やっとまともに事情がつかめてきた。もうすでに数時間待っている。
ロビーに誰もいなくなって一人で待っている間も涙がぽろぽろ出てきて困った。セキュリティのスリランカ人がどうしたのか?と小さな声で聞いてきたので、津波で全部なくなってしまった。2日かけてウナワトナからキャンディ、コロンボにたどり着いたけど、お金を貸してくれないといっている。お金がないとパスポートも再発行できないし、お腹も減っていて疲れていると答えた。悲しいというよりも惨めだった。
日も沈み暗くなった頃、ようやく別室に呼ばれお金を貸してくれることになったと伝えられた。しかし、14000ルピーまでしか貸せないというのだ。10250ルピーが再発行代、250ルピーが写真代、ビザを取り直すのに850ルピー、合計11350ルピーが必要だ。そうすると手元に残るのは2650ルピー。飛行場までのバス代、バスストップまでの交通費に300ルピーはとっておきたい。すると2350ルピー(約2300円)、これでは今晩泊まれるホテルもなく、道端で夜をあかさなくてはならない。洋服も買えないしご飯すらもあやういと思ったけれど、何かこれ以上いってもめると何も貸せないといわれたら終わりだ。「これで足りますね!」と念を押されるので、借りることのできる分だけでO.K.した。
手続きのため別室でまた延々待ていたら、事務所の中で女の人の声がする。どうも何かの食べ物の出前が来たようだ。「あ~いいな~、ここで働いてる人が何か食べるんだ」と思っていたら、お弁当を差し入れてくれた。「は~嬉しい~」今日始めての食事。
夜10時頃14000ルピーと返済のための細かな規約と1日ごとの利率を4枚に渡って細かく打ち出された書類と振込用紙を渡された。外に出る。
ちょうど日本人の女の子が私と同じようにやっとの思いで大使館にたどり着いたところのようだ。しかし大使館は10時までなので明日来るようにと取り次いでもらえないようだ。写真をどこで撮ったらいいのかすら案内がない。いったいどうなっているんだ。
出口のセキュリティガードのところで、このあたりに安いホテルはないかとたずねる。
ガードマンの一人がチョコビスケットを私にくれながら2000ルピーなんかで泊まれるホテルなんてないぞという。確かにそんな値段で、しかも12月29日の夜10時にそんな安いホテルをツアリストが探すのは私も難しいと思う。大使館の人は心当たりがあるから14000ルピーしか貸してくれないのだろう。そう思って大使館に電話をかけて聞いてみた。しばらくすると日本人の男の人がやってきて、正面の受付に案内された。大使館はホテルの斡旋はしないが旅行代理店の紹介はできますというので電話番号をもらったが、この年末のこんな時間に代理店が営業しているのか、そしてホテルを探しているのか?と聞き返すと、また「少々お待ちください」とその人はオフィスの奥に足早に戻ってしまった。また少し待つとそのロビーの椅子で寝てもいいとのこと。道で夜を明かすよりはましだ。。。
よかった。。。私がロビーに案内されたときはそこの電気は消えていたが、私が寝るときには電気を消さないでくださいといわれたので、「さっきは消えてましたよね?」というと保安上の問題があるからと答えた。その後大使館ではシーツの1枚も貸してくれず自分の汚れたシーツを引っ張り出した。大使館にはシャワーもないんだなぁ~と思った。
明け方、どきどきして目が覚める。
夜中にも泣いてしまった。今も泣き出してしまいそうだったけど少しはよくなった。明るくなって日がさしてきた頃、地元の掃除の人がやってきた。コーヒーを飲むかと聞いてくれたので、「yes」といったら。甘いコーヒーを持ってきてくれた。優しい人だな。
9時頃まで写真を撮る店は開いていないので、もう少しここで待とう。。と思っているとセキュリティの地元のおじさんが自分が使ってると思われる石鹸とタオルとトイレットペーパーを持ってきてくれた。シャワーを浴びるか?と聞いてくれたので嬉しくて、うんうんと大きくうなずいた。
セキュリティなどの業務用のトイレについている、トイレのタンクから水を汲み取るような簡易シャワーを使わせてもらい、何度も石鹸でカラダを洗うが、汚くて泡が全然立たない。においもなかなか取れない。何度も何度も洗う。。。
するとドアの影から地元の女の人が顔を出して新しい洋服と下着を持ってくるのでここにいるように言われる。「あ~清潔な服が着られる、嬉しい!」新品のショーツとブラジャーと彼女の古着(といってもとてもきれい)の洋服をもらった。
正面のロビーに来るように言われ行ってみると、昨日は見なかった日本人の男の人がやってきて、とてもとても丁寧に腰を低くして話し始める。なぜか信じられないくらい丁寧で、このままもみ手でもしたらぴったりだと思ってしまった。
昨日とは打って変わってこの態度はなんだろう。朝食を食べさせてくれるといっている。私は早く写真を撮ってパスポートを再発行してもらいたいので、帰ってきてから朝飯をご馳走になりたいとつげ、大使館を出た。
写真を撮って戻ってくるのに乗ったトゥクトゥクの運転手さんの家族はコロンボの近くに住んでいるので被害はなかったのだそうだが、私の話をきいて50ルピーも負けてくれた。大使館の入り口でガードの人がサモサとパンとミルクをくれた。それを食べながら写真を提出してパスポートの再発行を待つ。途中写真のサイズが小さすぎるといわれたが、大きいサイズは時間がかかることを伝えると許された。もうどうでもいいよ。。。
大使館の腰の低い人は大使らしい。。。その人にウナワトナの状況、助けがいる人がたくさんいること、赤ちゃんとおかあさんの話しなどをして、救助を要請してほしいとお願いする。
その人は、どうぞ大使館で休息してください、大使館には休息する施設があるのですよと言う。「!! じゃぁ、なんで昨日はその部屋があることを言わないんだ!」と思ったけれど、言わなかった。もうここで何かを言うことなんてどうでもいいことだった。ここを早く出たい気分で一杯だった。警察みたいだった。私は犯罪者か何かか?
大使館を出るときその人は移動のタクシー代はあるか?とポケットマネーを出そうとまでしていたが、私は断って外に出た。
大使館を出るとテレビ東京のインタビューがあった。
私はそのスタッフの方々に助けられた。エアラインのオフィスやインド大使館に来るまで送ってくれたり、彼らのホテルで休憩もさせてくれた。この場を借りてもう1度お礼を言いたい。本当にありがとうございました。そして、そのおかげで使わなかった2000ルピーはホテルにあった災害救助の寄付金箱に入れた。
今回の体験で私は本当に具体的に人々を救護できるようになりたいと思った。
目の前で苦しんでいる子供に何もしてあげられなかった。もっと知識があれば。。。
そして、この世界中の津波の被害の復興に日本が正しいエコロジカルな方法で技術と知識と人材を援助をしてほしいと思います。迅速な対応をしてほしいと思います。さらに私もその助けになれればと心から思っています。
コロンボのゴルフェイスホテルが無事でよかった。
クラシックでいい感じの私のお気に入りのホテルだ。スリランカの地元の人々には本当に助けられた。また必ずスリランカを訪れたい。