2005年2月4日
インド洋津波被災児支援ネットワーク作りの為の現地訪問
NGO 明日のアジアにかける橋(BOAD)
      九州事務局 代表 山口実

疲れからか少し体調が悪いため報告が遅れましたが、掲題に関し取り急ぎ下記の通りご報告申し上げます。皆様の温かいご支援を心からお願い致します。

                  記

I)ネットワーク作りに関する報告
A)合意事項
1)支援内容
 1.a)Indonesia Aceh州の隣の北Sumatera州州都Medan市にAceh避難民6511人の中の子供達1700人を収容する為の学校拡張工事及び寮建設及び学用品(文房具や制服等)供給を支援。私の現地での無二の親友Tansri Chandra氏がトップを勤める支援組織North Sumatera Chinese Association for Supporting Earth Quake and Tsunami Victims及びIndonesia China Business Councilを通して、上記を支援する。予算は約100万円/50M2。
 1.b)Sri Lankaは心身障害者支援組織NESTを通して、Colombo南約120KMにある被災地Hadara村の復興モデル建設とSri Lanka東部被災地5州の復興10村の住居建設(特に学校)を支援する。予算は約15万円/50M2。(上記1.aとの違いは、鉄筋コンクリート製と簡易プレファブの違いと土地代の有無による。)
 
2)事務局開設;
 2.a)Medan事務局: Tansri Chandra氏の次男Janua Chandra氏が代表となり、Medan市中央の彼の経営するホテルCITINNに事務所を置く。
 2.b)Colombo事務局:大統領の知恵袋でNEST主催者Sally Hulugalleさんの夫Arjuna Hulugalleと親しく、弊NGO東京事務局代表の合田真氏の親友であるJanaka氏を代表とし、彼の経営する繊維製品販売会社に事務局を置く。

B)現地より要請があり今後検討すること。
    1)Aceh州被災児への交通手段の提供。(マイクロバス寄贈など)
2)Aceh州被災民への医療物資供給。
3)Sri Lanka被災民に対するテントとトイレ設備の建設支援。
4)Sri Lanka漁民への支援。(漁船、魚網などの提供)
C)将来的な課題。
1)Aceh州現地での学校・寮等の建設支援。
2)Sri Lanka被災地の学校の更なる建設支援。
3)被災児の奨学金制度の設立。
  特に日本語学習に対する奨学金・留学制度の確立を目指す。
  
D)弊NGOの活動の意義
 一部報道では潤沢な資金が提供されたとの報道はあるが、インドネシア・スリランカとも政治腐敗が
進んでおり、資金がスムーズに流れるとは限らない。従い、信頼できる現地民間組織と目に見える形で支援をすることが不可欠である。私達にはそのためのしっかりした現地ネットワークが存在する。

E)支援の基本思想
 信頼できる現地の人々・組織と協力して、被災児達の心のケアの出来る施設建設を押しすすめ被災児の自立を長期に支援する。上から施すのではなくて、現地の人々と手に手を取って助け合い被災地子供達を見守って、彼らが自分達の力で逞しく生きて行ける環境作りのお手伝いをする。

II) 今後の日本での活動
A)募金(順不同) インドネシア・スリランカの子供達に愛の手を!
1)マスメディアの報道を通しての募金。
2)友人・知人(音楽・医療・華僑・企業・教育・宗教グループ、ライオンズ・ロータリークラブ、大学同窓会、親族等)を通しての募金。
 3)チャリティーイベントを通しての募金。
 4)Mailing Listを通しての募金。
 5)街頭募金。
 振込先は下記の通りです。
 福岡銀行 赤坂門支店 普通口座 1761137 
 明日のアジアにかける橋 九州事務局 代表 山口実

B)国連機関(ハビタット及びUNICEF)、赤十字、及びJICAへの働きかけ
 上記支援活動に対する資金援助。(上記の支援団体に直接援助されても全く問題ない。)

C)Penan, Phuketに対する観光客誘致の支援
 アチェ州やスリランカとは違った支援の形があります。それは日本人観光客が多くこれらの地域を
訪れることです。ヨーロッパの人々はそれを既に実践しています。

III)現地訪問消化日程の詳細
1月18日(火)日本出発ークアラルンプール(K.L.)着 
マハティール前首相の家族と親しいK.L.在留邦人有力者中井OREX TRAVEL社
と打ち合わせ。

1月19日(水)K.L.発ー北スマトラ州メダン着 
9:25A.M.着の予定が、メダン入管の混雑でK.L.で1時間半以上待たされ、到着は11A.M.を過ぎた。
午後:親友であるメダン市の最有力者Tansri Chandra氏と会談。その後メダン財界の有力者達と会談。
アチェから帰還した技術者Toni Grosshauser氏からも現地状況聴取。
夜は、メダン市経済界最有力者Muchtar Tjuatja氏と会食。

1月20日(木)午前:三井物産メダン事務所訪問その後メダン在住の有力企業家で仏教指導者のTongariojo Angkasa氏と面談。
午後:アチェから帰還したオーストリア人浄水技師Hermann Kranzl氏から現地
状況聴取。 その後Tansri Chandra氏と会談。
夜、はJanua Chandra氏(明日のアジアにかける橋メダン事務局代表)と会食。
Hermann Kranzl氏も同席更に詳しくアチェの状況を聴取。

1月21日(金)午前:三井物産メダン事務所訪問
午後アチェ被災者避難所METALを訪問。避難所の状況及び被災者の要望を聴取。(寝不足からか熱さで少しダウン。)
夜はJanua Chandra氏夫妻と会食。

1月22日(土)午前:仏教系全日制学校(小・中・高)をマレーシアからの高僧及びメダン仏教会幹部と訪問。アチェ被災児達を励ます。 
午後:アチェ被災者避難所を訪問。その後、仏教寺院を訪問。再度仏教系全日制学校を訪問(励ましのスピーチする。)
夜は、North Sumatera Chinese Association for Supporting Earth Quake and Tsunami Victims若手幹部のA.J. Subroto氏と会食。

1月23日(日)午前:前日と同じメンバーで仏教系全日制学校を訪問。その後仏教寺院を訪問。アチェ被災児達を励ます。(子供達に「さくら」と「幸せなら手をたたこう」を歌う。)
午後:在メダン日本総領事館芝田領事(危機管理担当)と面談。
夜はBenua Chandra氏と会食。

1月24日(月)午前:三井物産メダン事務所と打ち合わせ。 K.L. に移動。メダン空港で会ったカナダの国際救助隊員2人から写真を見せてもらい話を聞く事が出来た。
午後:OREX TRAVEL中井社長及びMalaysia Mahathir前首相の甥であるFaiz氏と会談。

1月25日(火) 午前:KL出発 Sri LankaのColombo着
午後:大統領の知恵袋で言語学者のArjuna Hulugalle氏と会談。津波被災地域の復興計画(Village Kingdom構想)と奥様のSally Hulugalleさんの主催する心身障害者支援組織NESTの活動に就いて話を聞く。NESTの組織を使った、住宅・学校建設支援に就いて合意。
          
1月26日(水) 午前:Colomboから約120KMのHadara(NESTの施設がある”Village Kingdom”
モデル村建設予定地ー津波被災地)及び漁村VelwellaをHullugalle氏と訪問。
午後:Sri Lanka漁業省を訪問。農業大臣は復興予算の緊急会議で会えなかったが、彼の顧問の国立海洋資源開発研究所理事長のK. Kapila C.K. Perera博士とSri Lanka被災地漁業公社のTop(名前不明)から被害状況を聞く。

1月27日(木) 午前:Moratuwa大学学長 Ray Wijewardene博士からDendro Energyに就いて説明を受ける。その後Ministry of Relief Rehabilitation & Reconciliation(復興調整省)Dassarrayake副大臣(大臣は大統領が兼務しているので、実質的に同省のトップ)と会談。支援依頼書を受領。
午後:三井物産コロンボ事務所訪問

1月28日(金) 午前:Colombo出発  午後1時KL着
KLで中井氏、三井物産KL事務所とMeeting。

1月29日(土)1月30日(日):ThailandのPhuketで息子の安全を再確認するかたわら、現地状況を視察。津波があったのが、信じられないくらい平穏で綺麗。感染症の気配もない。

1月31日(月) 午前:Phuket発 KL着 Phuketの空港で防災の調査に来られたK&T防災研究所森田代表と(株)エコプラン三船代表取締役に会い情報交換。
午後: KLで中井氏と会談。(残念ながらMukris Mahathir氏には会えず。e-mailで打ち合わせるととする。)

2月1日(火) 早朝:福岡帰着 

IV)旅行を終えての感想:
インドネシアのアチェ州・スリランカ東部被災地から帰還した技術者、支援団体、日本総領事館等の話を聞き、また沢山の写真を見たが、アチェの被害は特に酷く海岸から数KMは杭以外何も残っておらぬ状況で、バルカン半島やアフリカなどで戦後復興を支援して来た技術者、国際救助隊が口を
揃えて、「あんなショッキングな光景は初めて見た。」と言っていました。「鉄筋コンクリート建てのビルでさえ杭しか残っていなかった。」 地震で倒壊した建物を津波が襲い全てを流し去ったと言うのが、実状のようです。また、「遺体の多くの首(頭が一番重いため)が行方不明で、身元確認の為に親指の第一関節を採取した。(遺体は腐敗し原型をとどめているのは手の指のみだった。)」とのこと。(私は昔友達の代役として立川基地でベトナム戦争の米兵の遺体の処理をしたことがあります。また、メダンで飛行機事故の遺体を見たこともあります。その凄まじさや臭いに、さすがの私も冷静ではいられませんでした。)
そして、津波は海岸から7KM内陸まで、到達したと言う。被災現場の多くの写真は広島や長崎の爆心地の状況を思わせるもので、自然の破壊力に唖然とするばかりでした。
今回は、出発前から基本的にアチェ州入り予定はなかったのですが、帰還した技術者や支援者達から現地状況説明を聞いたところ、「アチェに行く世界からの支援者で空路・陸路とも一杯で大混乱している。また支援者もその半分程度が組織化されておらず、逆に現地の活動に支障を来たしている。そして、十分な宿泊施設もなく、野宿或いは狭い部屋に5~6人がベッドもなく泊まっている。やむを得ず民家を借りたが一泊200ドル以上も取られた。また、道路も寸断されたり、洪水によって3Mも水の溜まったところがあり、200~300KMを10数時間かかって行かなければならない。」とのことで、「あわよくばアチェへ」の考えも捨て去りました。お話した全ての人が、私の考えと計画の賛同してくれ、「もしアチェに行くなら、2~3ヶ月経って救援の人々が現地に行かなくなり、地道な支援の必要とされる時にすべきだ。」と言われました。(個人的には何とか3月中に行きたいと考えております。)

スリランカも震源地から2千5百KM以上も離れているにも拘らず、津波は東岸から1~1.5KM内陸に到達したとのこと。同時に西岸のコロンボ近くの海まで到達し、海岸付近の家屋を破壊し、ここにも甚大な被害をもたらしました。私達もコロンボから120~130KM離れた被災地を訪れましたが、ブロックやレンガ作りの家屋がばらばらに崩れ去っていました。とても恐ろしいことです。
 また、スリランカで協力して支援活動にあたるNESTと言う団体はバンダラナイケ大統領の知恵袋と言われる言語学者のARJUNA HULUGALLE氏の奥様のSALLY HULUGALLEさんが主催しており、組織力・内容・信頼度共申し分のないもので、有効に活動できると確信しました。また、ARUJUNA HULUGALLE氏から自立する村"VILLAGE KINGDOM"構想を、彼の友人のモラトワ大学学長Ray Wijewardene博士からは"Dendro Energy"(20種類の木を植林し、その枝をチップにし、ガス化して小規模発電を行う)に関するご高説を伺い、大いに感動しました。これらは熱帯・亜熱帯地域の自立に
非常なる力となるだけでなく、日本の地域コミュニティーの自立にも大いに役立つと考えました。(この話は、また別途詳しく致します。)

 私は上記の支援により、インドネシアとスリランカの子供達の傷ついた心のケアが少しでも多く図れることを切望します。今回の津波は未曾有の悲劇的災害ですが、これをきっかけに国際社会が協調し、アジア諸国の一体化が進み、一方全ての人々が自然保護を真剣に考えるようになることを心から願います。私は、その為の小さなかけ橋になる考えです。

これから、当地の音楽、教育、宗教、企業、華僑、関係者からの募金活動およびチャリティーイベント等を行います。既に津波発生から一ヶ月以上経ち、容易ではないと考えますが、現地での信頼できるネットワークと具体的なプランがあるので、各方面の方々からのご支援が得られるものと考えています。

今回の訪問で家を失い家族を失った子供達が健気に助け合う様子を目の当たりにして、彼らの為に頑張らなければと言う気持ちを更に強くしました。皆様の暖かいご支援を心よりお願い申し上げます。
―以上―

P.S. 
1.片親が助かっていたり、親類がいたりで、天涯孤独の子供達は今分かっている中では、余り多くないようです。また、アチェの調査には未だ時間が掛かります。従って、当面の活動内容を孤児支援から被災児支援に致します。もちろん、孤児の支援は最優先と致します。

2.うしじまあおいの白金クラブのコンサートで頂いた寄付金はCD売れ上げの一部と小生の寄付を含めて、US$1200.-とし、学用品を手当てして貰う様メダン市の関係団体に寄付してまいりました。

3.旅の終わりに息子のいるプーケットにも2日行って参りましたが、津波が嘘のように平穏で綺麗で、疫病の恐れなど皆無のようでした。既にヨーロッパ人も多く訪れるようになっており、日本の観光客が多く訪れることが、被災者の供養にも現地の人々への支援にもなると考えました。