理想のママ。 | 太陽と月と地球4tune

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あなたはあなたのままで。わたしはわたしのままで。

もし、
母として大切にしているものは何か?
と聞かれたら。

子供を自由に、解放すること。
と。
愛してるよ!と、これでもかと伝えること。

の二つです。

私の、
理想のママ像でもあります。


子供を「誰」から解放するかといえば、
母である私から。

大好きだけど。
大切だけど。
母である私からは自由になって欲しい。
解放されていって欲しい。

そう思っています。

私の中にある心配性は、
自分やパトーナーに対しては、
さほど作動しません。
簡単に「なるようになる」と思えるのに。
娘のことになった途端、暴走を始めます。

ちゃんと起きて、
身支度をして、
朝ごはんを食べ、
忘れ物をせず、
汚さず、
時間通りに、
迷惑をかけないように、
きちんと。

できるかどうか、できたかどうか。

毎朝毎朝、娘のことを
看守のように見張っている私の心配性。

疲れていたり、
調子が悪かったりすると、
ガミガミガミガミ!
と猛烈に娘にまくし立てます。

そして娘の表情はどんどん曇り、
私もとても疲れます。

看守が暴走するのは朝だけではなくて。

期待していることや、
応援していることほど、
スイッチが入りがち。
そして大抵、裏目に出ます。

心配性という名の看守のエネルギー源は、
娘への愛情。

幸せでいて欲しい、
豊かでいて欲しい、
安全でいて欲しい。

の思いが、
結局、暴走して、

娘の表情を曇らせ、
焦らせ、
心を傷つけます。

調子のいい日は、
自分で自分に話しかけることができます。

「一番大切なことは何?」

今、娘に一番大切なことは。
・自分で自分のことができること、
・困ったら助けてと言えること、
・自分はできると自信を持つこと、
・自分は愛されてるって信じられること、
・自分らしくいていいと思えること。

私の心配性は、
・娘が自分で自分のことができるか心配なので手出し口出ししたくて、
・困ってたら先回りしてあげたくて(大抵、文句付きだけど)
・私が母としてやってあげたと自信を持ちたくて、
・愛情が伝わっているか不安で、
・私が安心できる娘でいて欲しい、
ので。

要するに。
大変遺憾なことに。

娘が一番大切なことを学び、
自力していくための、
邪魔しかしないから。

今は。
娘を信頼してみようよ。
少しだけ待ってみようよ。
きっと大丈夫だから、ね。

と。
自分の中にいる「看守」に、
声をかけることができます。

調子の良いときは。

人は誰でも当たり前に、
24時間365日調子良くはいられないので。

当然私も良い時と悪い時があり。
看守の暴走を止められないこともあります。

そんなとき、
ずっと心がけてきたことは。

ふと、我に返ったら。
娘に謝ること。ハグしながら。

疲れてて、調子が悪くて、
嫌な言い方をしてしまってごめんね。
心配し過ぎてしまってごめんね。
あなたのことが大好きだから、
つい心配し過ぎてしまいました。
ちゃんと信頼するようにするね。
あなたはちゃんと出来るのにね。
また忘れてしまってごめんなさい。

娘は幼い頃からいつも、
嫌がらず、
ハグされてくれて。

いいよ。

と許してくれます。
子供は寛大ですね。

「お母さんの心配性は病気だから」
だそうです。

子供を育てるって、
もの凄いパワーと体力が必要で。
そもそも。
子供のための時間が、
疲れや調子悪さの原因になっていることもあります。

もしできることなら、
心配された記憶、
信じてもらえなかった記憶、
ではなくて、
愛情の記憶が娘の心に残ってくれたら、
とても嬉しいなと思います。




子供に、
これでもか!と愛情を伝えるためには、
「この子はこの子で大丈夫だ」
という信頼が必要だと、
日々、痛感します。

何故なら。

信頼していなければ、
心配の芽が育ってしまうから。
そしてどうなるかは延々と書いてきました。

どうすれば娘を信頼できるのか?

私が、
娘を信頼するために必要だったのは、
「違う」
ということでした。

娘と私と違う人で、
何が嬉しくて、何が辛いのか、
何が得意で、何が不得意なのかが、
全く違うから、
当然、
幸せの形も違うということ。

安心できる場所も違うということ。

だから。
私が考える幸せな場所は、
娘にとって幸せとは限らないと自覚すること。

だから、
私の心配は無意味なのだと自覚すること。

逆に言えば。

娘と私は別の人なので、
娘の成功は娘のものであって、
私のものではないのです。


母と子供は別の生き物だから、
この子はこの子で大丈夫なのだ。

と、信じるための、
「軸」
になる何かがあるって、
大事なことなのだと思います。


私の場合は。

これまでずっと、
私らしさ、
娘らしさ、
のヒントにしてきたのは占いでした。

細かくみればみるほど、

「何もかも違う人だ」

ということが一目瞭然だから。
でもその反面、
彼女が私を選んで生まれてきた理由も、
一目瞭然だから。


昔、
公文の先生にこんな風に言われました。

ママは、
〇〇ちゃんのことを
まるで他の人みたいに言いますね。
すごく面白い距離感だと思いますし、
素晴らしいと思います。

素直に嬉しかったです。
そして、
「母と娘は別の人間だ」
ということを自覚させてくれた占いに、
心の中で感謝しました。

ただし、占いは諸刃の刃で。
子供をコントロールするための道具、
としても使えます。
そのことにもの凄い嫌悪感を感じるのは、
私自身が、
心底、
コントロールされるのが嫌だからなんでしょうね。

だから別に占いに限らなくてもいい。
何でもいいから何か「軸」があればいい。
と思います。




時間も、
お金持も、
体力も。
全てを子供に捧げて。

その「成果」は全て子供のもの。

子育てって、
何て理不尽なんでしょうね。

それでも。
時間を使いたいから、
お金を払いたいから、
体力の限り協力してあげたいから。
やってしまう。

親ばかって、
本当にいい言葉だと思います。

そしてそれって、
ある意味、
全力で大好きなことに向かって生きてる、
ってことなのだよねと。

とも思います。



子供を自由に、解放すること。
と。
愛してるよ!と、これでもかと伝えること。

の二つは理想なので。

上手くいかない日も沢山あります。

それでも。

娘が私から解放されるために、
全力で協力する、
という、
矛盾に満ちた毎日を楽しもうと思います。
私以上に娘を大切に思っている夫と一緒に。

だって。
絶対に「今」しかできないことだものね。



昔、娘が小さい頃。
「お母さんなんか大っ嫌い!」
と精一杯叫んだことがありました。
何というか、
清水の舞台から跳び下りるって、
こういうことだよね、
って分かる感じで、叫びました。
その時私が感じたのは、
本当に大嫌いなのではなくて、
本当は大好きでたまらないのに、
大っ嫌いって思っちゃうくらい、
悲しい、辛い、
ってことなんだな。
ってことでした。
なので娘にはこう返しました。

別に嫌いでもいいよ。
お母さんはあなたのことが大好きだから。

何となくなのですが。
あの一言から、あの一瞬から、
娘は、
私の愛情を心から信じてくれるようになったんじゃないかと、
感じています。



心を解放する占い師で、母の、
稲葉千津でした。