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前回の続きです。
 
2008年4月15日 
シアトルでこのアメリカ一周の旅は終了しました。
 
ツアーの最終日の前日
当時のブログに書きこんだ記事をここに貼り付けておきます。
 
 
 
冒頭と同じ写真が現れるはずです。
 
 
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思えば19歳の夏
バイトで貯め込んだ金をドルに換金して
グレイハウンドの夜行バスでの移動と
ヒッチハイクや野宿を繰り返しながら
西海岸LAから東海岸のボルティモアまでを横断したのが
自分にとって最初の海外の旅でした。
 
 
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音楽好きだった自分は、帰国後、日本のレコード会社に就職。
アメリカ放浪生活のやっつけで習得したハチャメチャ英語のおかげで
海外でのレコーディングや、コンサートツアーの仕事が集中しました。
 
 
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中には国連からの依頼で
当時ポルポト政権下で内戦状態にあったカンボジアのジャングルで
国連軍の慰安コンサートをやる!
なんていう、今思い出してもかなりヤバイ仕事もありました。
 
 
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この時は成田空港のAIUで海外旅行保険に入ろうとしたら
窓口の女性に
「カンボジアは戦争下にあるので、保険はかけられません」
ときっぱりと断られ、旅行保険無しで渡航。

当時、成田からカンボジアへの直行便はなかったので
タイを経由して軍用機で現地入りしました。
 
山間すれすれを低空飛行する軍用機にビビりながらその理由を尋ねたら
高く飛行すると高射砲で狙われ易くなるから!と簡単に答えられ
 
嗚呼、自分は今、本当に戦場にいるんだっ!
 
と来てしまった事に本気で後悔しましたが、後の祭り。
 
滑走路が空爆で穴だらけ!の空港になんとか着陸して
ジャングルにあるコンサート会場まで

地雷原の中をそれこそ顔面蒼白状態で走り回りました。
 
ジャングルの会場で、日本の某大手新聞社の特派員だという方に会いました。
コンサートの取材で来たとの事。
 
彼曰く、
「戦地で生き延びようと思ったら最前線にいるのが一番だよ。
どちら側からの迫撃砲もミサイルも、最前線の頭上を飛び越えていってしまうからね。」
 
あの人、今、生きているんだろうか?
まだ若そうなのに、ほとんどの歯が抜け落ちていたのが印象的でした。
 
 
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さてさて
シアトルでアメリカ一周のツアーが終わった後
私は精神的にある種の放心状態に陥ってしまいました。
ハッキリとした原因はわかりません。
 
 
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帰国と同時に
 
人生のリセットボタンを
 
ポチリ・・・・・
 
 
押してしまったのです。
 
 
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その日以来、So-netの初代ポケカメ雑記帳は、一切更新されていません。
 
そしてその後、Yahooで続ポケカメ雑記帳が再開されるまでには
約2年の月日の経過を待つことになるのです。
 
 
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そして今
完全にリフレッシュして舞い戻って来た
禿鷹の眼を持つ男が一匹
 
デジカメ片手にオフィス街の雑踏を切り裂いて
本日のエサを物色しながら
鼻息荒く東奔西走している姿があるのでありました。
 
 
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完全復活!
めでたし、めでたし!
 
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