子供は親の背中を見て育つ。
子育てってこれだなぁ~と感じています。
何よりも親が生き生きしていて、ポジティブで夢がある。
そういう姿を見て子供は、潜在意識のなかにインプットされる。

しかし親の方がもし、恐れや不安からくるポジティブだったりすると、
それもそのまま子供に投影されることがある。

子供は言葉を話さなくても、しっかりと親の事を理解している。

逆に親が反面教師になりああゆう風にはなりたくないと、子供が思う、
これはある程度まで、立派に育つ、逆にしっかりする。
しかし、いつまでも親のことが赦せず、結果、こういう人間になりたくない=親とは違う生き方を選ぶ事に依存する。それは世間的には自立しているように見えて、実はいつまでも、親の事を考え生きる=自立していないことになる。

魂の自立ができている人は、相手をありのままで受け入れることができる。
そうすると、親には産み育ててくれてありがとうという感謝しか沸いてこない。

こういう事は、子育てではなく他人との関わりにも言えてくるものだと思います。

子供は自分の所有物ではない。
一人の人として尊重し、親は子供の行動ではなく、自分の行動に責任をもつ。

自らが発信するもので、関わる人も、少なからず影響される。
もし、親が、子供から見て大変な状況にあっても前向きに、楽しみながら取り組んでいる姿勢を見たら、
子供も又、自らの生きる術を学べるのではないだろうか。

他人が又、人生の常識に捕らわれず、苦しみを苦しみと思わず楽しみながら取り組んでいる友人、知人を見たら、それは何かしらの形で影響し、共有てきるものにも変わるのではないだろうか。

全ては、自分だなと感じる今日この頃です。








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魂の目的地へ向かうとき人は
進化したいと欲を持つことは自然な事だと思います。

物質に関する無関心は受け取らないという意味ではない。
無関心とは呼吸をし現生を続けるために必要とするものを何もつかまないことである。

今、自分がいる場所と自分の源が行きたい場所を確認すべきである。
そして他人の協力を得ること、自分が誰に支えられているか考える事が大切である。

そうすることで受け取る時に決断できるのである。

他人の協力、神の協力を受け取り、
自分に値するものを受け取りそれを持ちそしてそれを持つことの幸せを分かち合うことである。

それは、個の幸せから集団の幸せ
世界全ての幸せに進化していくものである。そして全ては自分であるという幸せを受け取る。

哀しいのは自分が何が必要か気づけないことである。







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経営者をやめることを決めたのが
今年の4月。
いろいろと準備段階に入ったのですが、正式に来年の2月で閉店を決めました。

やめることを決めた後、思ってもみないオファーが私の所に来ました。
2月以降に働く所はもう決まっているのですが

それ以外のオファー。いわゆる引き抜きというやつです。
今まで7年営業してきて、初めてです。確実に自分が引き寄せたものねと思いました。

そして、そのどれもが、私にとってはいいお話でした。

さすがに、迷いましたね。
でも迷い=自分の目的地はどこか定まってない。

どれも、同じ職種で、どれも同じくらいの報酬でどれも雇われるということ

私は問われているんだな。と思いました。あなたは何が欲しいのか。
選ばなければいけない。

私の中にあった「怖れ」が顔を出しました。正解の道を選びたい。
ふとそんな思いが脳裏をよぎりました。

でも、究極、どれも正解な道。
自分の思い次第で、正解なんだと思いました。

最終的に、最初に決めていたところに決めました。
決めた理由は?
「理由なんてない」ただそこに決めた。それだけです。

理由を持つこと自体がそもそも違うんだなと、そう気づいたんです。

私は日々、必要なものを必要があって受け取っているし、それで充分前に進んでいる。

自分と繋がったときから、目的地への道はすでにできあがっている。

私は、選んだことに理由を持てばそれに縛られる事になると気づいたんです。

ただそれに気づいただけなのに、いろんな流れがはじまりました。
感謝すべきことばかり。

私は迷いや疑いの中に流れを止めていたんだな~と感じました。