調子に乗って色々やり過ぎて腰が痛い。ヨカ天気にノタリノタリかな・・・。
家の周りはけっこうなヤブである。公園のように整備されたモノは何一つない。
ヤブの中で一番困るのが蚊である。だからどんなに暑くても大抵は長袖シャツである。
ドンコ
ノムラ
イタヤ
と、小さな実生苗を見つけた。えらく赤い色!
ねっこが折れていた。栄養失調なんだろう。そこら辺りを歩くと色々な植物が被害を被る。
人がそこに住むということは自然にとっては破壊そのものだ。しかし先にこの地に住んでいるのは私の方で言わば私が木を植えなければそう言う被害を被る事もなかった訳だ。
人が自然の中で自らの繁栄のためにだけ何をやってもいいと言う傲慢な考えがある。何処ぞやの車会社などがやっている未来都市などと言う構想が理解できない。車が生活を変えると言う考えは単純に便利性を追求しただけのことで、人の住む自然環境と人がどのように関わり合って生きていくか利潤追求会社は考えたことがないだろう。
"夢の古里"が咲いている。
親不明のツバキと言われるのだが、数あるツバキの中である日突然こう呼ばれることになったのだ。侘助もしくは百合椿の系統だろうと思うのだが実にふさわしい名前を付けたものだ。
今年は早くから咲いていて実が沢山生ってる。家はツバキの木のヤブなので当然外の花の花粉を受けて結実していることになる。品種の履歴など分かりようもないのだが、ある時から名前を貰ったそのツバキはこの上もなく幸せなことだろう。
親はなくても子は育つ。
産んでくれた親は居なくても周りに助けられて生きて行くことを言ったものでそもそも親が居ないと子供は存在しない。
"夢の古里"の種はやがて独り生えして新しい命を次々と産むだろう。ツバキ自身にとってはそこががお前の古里となる。
自然と人が共に生きる社会とは人が小さな植物の命に手助けをしてやることだ。
カミさんが昨日採った竹の子を湯がいたのを見せた。先日私がツバキの葉で失敗したものだからそれ以降ずっとカミさんのアク抜きは糠だ。今回竹に近いような筍は初めて事で大いに興味がある。穂先メンマは確か唐竹だった・・・。とするとやはり味噌漬けか・・・。
上1:オダケ、下2:メダケ。
メダケの方は節が底に沈んでいる。ナヨッとしたコサンダケを思わせる・・・。
オダケは割と平滑。ガッシリして頼もしい~。